日本歴史地名大系 「甲田村」の解説 甲田村こうだむら 大阪府:富田林市甲田村[現在地名]富田林市甲田・常盤(ときわ)町・寿(ことぶき)町一丁目・同四丁目・谷川(たにがわ)町・錦(にしき)ヶ丘(おか)町錦部(にしごり)郡に属し、北は石川郡毛人谷(えびだに)村、西は廿山(つづやま)村。丘陵地から石川西岸にかけて位置し、南北に東高野街道が通る。郷村帳類には向田村とも記される。廿山村の南に枝郷伏山(ふしやま)新田があった。「日本書紀」敏達天皇一二年条にみえる「下百済阿田村」の「阿田」を「河田」とする写本をとって当地とする説がある。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高八〇〇石余、ほかに山年貢高三石余。 甲田村こうたむら 滋賀県:彦根市旧坂田郡地区甲田村[現在地名]彦根市甲田町下矢倉(しもやぐら)村の北に位置し中山道が通るが、集落は北国街道東側の山際に形成されている。集落は南北二ヵ所に分れている。文明五年(一四七三)美濃からの帰途、摺針(すりはり)峠を南へ下った一条兼良は、「藤川の記」に「ふもとには神田といふ所の一つなき田などみゆ、又左のかたには、そびえたる岩に松一木ある、その下に石塔あり、西行法師がつかといひつたへたるとなん」と記している。 甲田村こうだむら 新潟県:刈羽郡西山町甲田村[現在地名]西山町甲田北は大崎(おおさき)村、南は浜忠(はまつだ)村、東は大津(おおづ)村と峰で接し、西も大崎村。東方石動(いするぎ)山中の池から甲田川が流れ日本海に注ぐ。年欠の本領日記(「古文書集」所収文書)に「かりハこほりのうち」の「かう田」は神余氏の知行地となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by