日本歴史地名大系 「男衾郡」の解説
男衾郡
おぶすまぐん
- 埼玉県:武蔵国
- 男衾郡
〔古代〕
「和名抄」高山寺本は
平安時代の郡司として壬生吉志福正が有名である。承和八年(八四一)五月七日の太政官符(類聚三代格)によれば、「男衾郡榎津郷戸主外従八位上壬生吉志福正」が、二人の息子(一九歳と一三歳)の終身納めるべき中男作物(合せて紙二四〇張)と調庸物(合せて布八〇端四丈二尺)を一括納入することを申請して太政官から許可されている。さらに福正は四年後の同一二年に私財をもって、同二年以来焼亡していた武蔵国分寺(現東京都国分寺市)の七重塔の再建を言上して許されている(「続日本後紀」同年三月二三日条)。このとき福正は「前男衾郡大領外従八位上」と記されており、男衾郡の郡司大領経験者であったことがわかる。壬生吉志は六世紀末頃に北武蔵に移住してきた渡来人の集団といわれ、男衾郡では荒川右岸に面した段丘上に七世紀中頃から八世紀初頭に築造された胴張りの横穴式石室をもつ
〔中世〕
秩父氏を出自とする重能は男衾郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報