白松庄
しらまつのしよう
瀬戸内海沿岸の、現阿知須町全域と宇部市大字東岐波・西岐波付近の地。
慶長五年(一六〇〇)の検地帳は江戸時代中期以降の佐山(現山口市)・井関・阿知須浦・東岐波・西岐波などの村々を一括して白松庄と記している。
白松の地名は宇部市東岐波の弘済寺所蔵の建武三年(一三三六)一一月二六日付の文書に「周防国白松古尾八幡宮別当弘済鎮国寺御除之事、白松郷内田地之事」とみえるのが早く、同じく弘済寺所蔵の年号不明の文書には「御領所白松庄南方有吉名之内」とみえる。これにより、白松庄は南方・北方に分れていたことが知られ、弘済寺は南方八幡宮の別当寺であったこともわかる。
長門の豪族厚東氏の系図に「四代武綱、白松大夫、人皇四十六代孝謙天皇之時人也、仁王堂、加保之八幡等建立」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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