デジタル大辞泉 「白石勝巳」の意味・読み・例文・類語 しらいし‐かつみ【白石勝巳】 [1918~2000]プロ野球選手・監督。広島の生まれ。旧名、敏男。巨人の遊撃手として千葉茂・水原茂とともに鉄壁の内野陣を組み第1期黄金時代を築いた。2リーグ分立の昭和25年(1950)新球団広島に移籍。のち監督も務め、広島球団を育て上げた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「白石勝巳」の解説 白石 勝巳シライシ カツミ 昭和期のプロ野球選手,プロ野球監督 生年大正7(1918)年4月15日 没年平成12(2000)年12月11日 出生地広島県広島市 旧姓(旧名)白石 敏男 学歴〔年〕広陵中(現・広陵高)卒 経歴昭和11〜18年巨人、21年パシフィックを経て、23年巨人に復帰。25年広島の創立に際し移籍し、28年から監督を兼任。30年一塁手に転向、31年の引退後も35年まで監督を務めた。43〜49年巨人ヘッド・コーチ。60年殿堂入り。18年間の選手通算成績は1651試合、1574安打、84本塁打、572打点、210盗塁、打率.256。現役時代は“逆シングルの名遊撃手”と呼ばれた。広島監督時代に巨人の主力打者だった王貞治の強打対策として“王シフト”を考案したことでも知られる。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白石勝巳」の解説 白石勝巳 しらいし-かつみ 1918-2000 昭和時代のプロ野球選手,監督。大正7年4月15日生まれ。広陵中学から昭和11年巨人に入団。逆シングルの名遊撃手とよばれ,川上哲治らと第1期黄金時代をきずく。21年パシフィックをへて,23年巨人に復帰。25年故郷の新球団広島にうつる。実働18年,通算1574安打,2割5分6厘。29-35年,38-40年広島監督をつとめた。60年野球殿堂入り。平成12年12月11日死去。82歳。前名は敏男。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「白石勝巳」の解説 白石 勝巳 (しらいし かつみ) 生年月日:1918年4月15日昭和時代のプロ野球選手;監督2000年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by