白虹筆禍事件(読み)はっこうひっかじけん

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

白虹筆禍事件
はっこうひっかじけん

1918年(大正7)8月『大阪朝日新聞』が受けた筆禍事件。当時の寺内正毅(まさたけ)内閣は、成立以来、非立憲内閣として言論界と対立していたが、8月3日に米騒動が起こると、騒動が全国へ波及するのは新聞の報道によるものだと、14日、米騒動に関するいっさいの記事掲載を禁止した。そこで東京、大阪はじめ各地で言論擁護、寺内内閣の引責辞職を迫る声が起こったが、25日、大阪で開かれた関西新聞通信社大会の模様を報じた『大阪朝日新聞』の夕刊記事が、朝憲紊乱(びんらん)、新聞紙法違反にあたるとして告訴され、村山龍平(りょうへい)社長は退陣、鳥居素川(そせん)編集局長はじめ長谷川如是閑(にょぜかん)、大山郁夫(いくお)、丸山幹治ら編集幹部が総退陣し、12月1日の紙面に「本社の本領宣明」という長文の改過状を掲載して廃刊を免れたという、大正期最大の筆禍事件。

 問題となったのは大会後の昼食会の雑観記事。「金甌(きんおう)無欠の誇りを持つた我(わが)大日本帝国は今や恐ろしい最後の裁判(さばき)の日に近づいてゐるのではなからうか、〈白虹日を貫けり〉と昔の人が呟(つぶや)いた不吉な兆が黙々として肉叉(フオーク)を動かしてゐる人々の頭に電(いなづま)のやうに閃(ひらめ)く……」で、筆者は大西利夫記者だった。なお、白虹貫日とは、兵乱の前兆をさすもので、朝憲紊乱といえるかどうかは疑わしいが、『大阪朝日新聞』は、かねてから寺内内閣を痛烈に攻撃していたためにらまれたもので、言論の独立と、企業としての新聞の自立が衝突した歴史的事件としても有名。

[春原昭彦]

『春原昭彦著『日本新聞通史』新訂増補(1974・現代ジャーナリズム出版会)』『朝日新聞社社史編修室編・刊『朝日新聞の九十年』(1969)』

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