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村山龍平 むらやま りょうへい

美術人名辞典の解説

村山龍平

朝日新聞社社主。伊勢生。国学者村山守雄の子。号は香雪。国会開設を機会に新聞の大衆化と大量生産に努め、海外通信網の確立強化に先鞭をつけて他紙の追随を許さず、『朝日新聞』は世界的大新聞としての地位を確保した。一方、公正な世論の指導、文化の宣揚、国際親善、学術技芸の奨励等社会事業に尽力、殊に航空事業の普及発達に貢献した。衆議院議員。貴族院議員。昭和8年(1933)歿、84才。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

村山龍平
むらやまりゅうへい

[生]嘉永3(1850).4.3. 伊勢
[没]1933.11.24. 芦屋
朝日新聞』の創設者。明治4 (1871) 年大阪で西洋雑貨商を始めたが,1879年に創刊された『大阪朝日新聞』の名義上の社主となり,81年実質的な社主となってから新聞事業に専念,88年には『めざまし新聞』を買収して『東京朝日新聞』を創刊した。池辺三山鳥居素川などを擁して論陣をはるとともに,日清,日露両戦争を中心に速報体制を確立,上野理一の堅実経営にも支えられて,今日の『朝日新聞』発展の基礎を築いた。国会創設当初代議士に3回選ばれ,晩年貴族院議員に勅選されたが,政党的立場は取らなかった。またスポーツの普及,民間航空の発展にも努めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

村山龍平
むらやまりょうへい
(1850―1933)

新聞経営者。嘉永(かえい)3年4月3日、伊勢(いせ)国田丸(現、三重県玉城(たまき)町)に生まれ、大阪で西洋雑貨商を営む。同業の木村平八・騰(のぼる)親子が『朝日新聞』を発刊するとき、これを助けたが、1881年(明治14)木村平八の請いにより、上野理一(りいち)(1880年入社)と共同出資して『朝日新聞』の経営を引き受けた。1888年東京に進出、7月10日から『東京朝日新聞』を発行したほか、明治20年代には政治新聞の『東京公論』『大阪公論』『国会』新聞なども経営した。村山は新聞経営にあたり、ニュースにもっとも力を入れ、通信を利用、特派員を派遣、印刷面でも新しい機械を率先して導入、各界の人物を抜擢(ばってき)して登用するなど、つねに積極政策をとったため、『朝日新聞』は日本を代表する新聞に発展した。
 1891年3月から大阪府選出の代議士を3期務め、1930年(昭和5)には貴族院議員に勅選されたほか、初めて飛行機を新聞に結び付け、日本の民間航空の発展に寄与した。また、収集家として日本美術にも深い関心をもち、1889年発刊以来終始赤字経営の高級美術雑誌『国華(こっか)』を維持したことも有名。茶人としても知られ、号を香雪と称した。昭和8年11月4日没。勲一等瑞宝(ずいほう)章を贈られた。[春原昭彦]
『朝日新聞大阪本社社史編修室編『村山龍平伝』(1953・朝日新聞社)』

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