日本歴史地名大系 「皆川城内村」の解説
皆川城内村
みながわじようないむら
天正一八年(一五九〇)の小田原の陣ののち、皆川広照は徳川家康の臣として旧領一万三千石を安堵され、のち三万五千石を領有。慶長八年(一六〇三)には都合七万五千石となるが、同一四年除封。元和元年(一六一五)榎本藩主本多忠純が皆川に一万八千石を加増されるが、当地に居を移したかどうかは未詳。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
天正一八年(一五九〇)の小田原の陣ののち、皆川広照は徳川家康の臣として旧領一万三千石を安堵され、のち三万五千石を領有。慶長八年(一六〇三)には都合七万五千石となるが、同一四年除封。元和元年(一六一五)榎本藩主本多忠純が皆川に一万八千石を加増されるが、当地に居を移したかどうかは未詳。
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