日本歴史地名大系 「皇徳寺跡」の解説 皇徳寺跡こうとくじあと 鹿児島県:鹿児島市旧谿山郡地区山田村皇徳寺跡[現在地名]鹿児島市皇徳寺台二丁目永田(ながた)川の西側、是枝(これえだ)橋のたもとに位置。通称皇徳寺台地の麓に竹林があり、石造仁王像が残る。永谷山と号する能登総持寺末の曹洞宗寺院で、本尊は釈迦如来であった。開山は無外円照(永徳元年没)、開基は仏心と伝える。「三国名勝図会」は仏心を谷山忠高とするが、当時の史料に忠高の名はみえず、年代から永徳三年(一三八三)や至徳元年(一三八四)に皇徳寺に寄進を行った薩摩守忠信とみられる。南北朝時代征西将軍宮懐良親王は上福元(かみふくもと)の見寄原(現御所ヶ原)に拠り、皇立(こうりゆう)寺を創建した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by