益田荘(読み)ますだのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「益田荘」の意味・わかりやすい解説

益田荘 (ますだのしょう)

伊勢国桑名郡(現,三重県桑名市)にあった荘園。1248年(宝治2)の荘官申状によれば,1013年(長和2)平致経が藤原頼通に寄進して立荘されたが,その後退転,74年(承保1)藤原清綱が藤原師実に改めて寄進,立荘されたという。史料上の初見は12世紀初めの法家勘問で,荘内星河市庭における津料徴収をめぐる下司(げし)久米為時と桑名神戸(かんべ)神人(じにん)との相論に関したものである。本家は鎌倉時代までは近衛家。領家職は平安末期藤原邦綱が本家より与えられ,その子女の平重衡妻輔子が相続したが,平氏と行動を同じくしたため近衛家より没収され,近衛基通の子,興福寺一乗院門跡(もんぜき)実信に譲与された。その後は一乗院門跡領。荘官には久米為時のほか,1160年(永暦1)に下司員部茂助の名が見えるのみで,詳細は不明。鎌倉時代初~中期には二階堂氏が地頭として見え,行西,行阿,行氏と伝領されているが末期には名がみえず,荘内深矢部郷を相伝した一族の深矢部氏が戦国時代まで名をみせるのみである。南北朝以降は室町幕府御料所となり,代官として土岐氏(1465),土岐氏被官斎藤氏(1493),大館尚氏(1504)の名が散見する。年貢・公事は不明であるが,尚氏は京着300貫文で請け負っている。当荘と隣荘香取荘間では平安末期から13世紀中葉まで,長良(ながら),木曾,揖斐(いび)3川の河口にできた中州領有権をめぐる長期の相論があり,また荘内桑名に居住する禁裏供御人(くごにん)=蠣貢御人の活動などが知られる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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