目川村(読み)めがわむら

日本歴史地名大系 「目川村」の解説

目川村
めがわむら

[現在地名]栗東町目川

川辺かわづら村の西、金勝こんぜ(草津川支流)流域平地に立地。東海道に沿う街村で、草津宿石部いしべ宿(現甲賀郡石部町)の中継の立場茶屋が設置され、一里塚もあった。下戸山しもとやま小槻おつき大社蔵の永徳二年(一三八二)の板札には、土豪青地氏の侍衆によって構成された同社の祭礼にかかわる「榊本之衆中」として当村に居住していた芝原左馬尉昌維の名がみえる。近世初期には豊臣秀吉直轄領(前田文書)。慶長検地では高六七六石余(正徳三年「郷村高付帳」中村文書)


目川村
めがわむら

[現在地名]入善町目川

黒部川扇状地の末端にあり、東は古川ふるかわ村・道市どいち村、西は木根きのね村、南は青木あおき村。正保国絵図では黒部川の三筋に分れた主流部の一流が村の脇を流れる。寛永一六年(一六三九)から万治三年(一六六〇)まで加賀大聖寺藩領、以後加賀藩領。正保郷帳では高二二八石余、田方一四町六反余・畑方六反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高二六八石、免四ツ四歩、小物成は野役一九匁四分・鱒役二匁一分・鮎川役一匁(三箇国高物成帳)。黒部川の主流は西に移ったが、洪水の折にはしばしば入川し、元禄四年(一六九一)には九〇石の引高があり、享和三年(一八〇三)から三度の増高があり、天保一一年(一八四〇)の草高は二一〇石となる(「高免帳」杉木家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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