三上藩(読み)みかみはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三上藩」の意味・わかりやすい解説

三上藩
みかみはん

近江(おうみ)国野洲(やす)郡などを領有した譜代(ふだい)藩。1700年(元禄13)遠藤胤親(たねちか)が常陸(ひたち)国より転封されて立藩。別称甲賀(こうが)藩。志賀(しが)、甲賀、野洲、栗太(くりた)4郡内で1万石を領有し、野洲郡三上村(滋賀県野洲市)に陣屋を置いた。胤親、胤将(たねまさ)、胤忠(たねただ)、胤富(たねとみ)、胤緒(たねお)、胤城(たねき)と6代続き明治維新に至った。1842年(天保13)野洲、甲賀郡を中心とした天保大一揆(てんぽうだいいっき)が発生している。また1860年(万延1)胤緒は外国事務掛に就任している。

[藤田恒春]

『『野洲郡史』全2巻(1927・野洲郡教育会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三上藩」の意味・わかりやすい解説

三上藩
みかみはん

甲賀藩ともいう。江戸時代近江国 (滋賀県) 野洲地方を領有した藩。元禄 11 (1698) 年に遠藤胤親が常陸 (茨城県) から1万石で入封したのに始る。明治3 (1870) 年に和泉 (大阪府) 吉見へ移って廃藩。譜代,江戸城菊間詰。

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デジタル大辞泉プラス 「三上藩」の解説

三上藩

近江国、三上(現:滋賀県野洲市)に陣屋を置いた譜代藩。元禄年間、遠藤胤親が常陸国からの国替えにより入封して成立。以後幕末まで遠藤氏藩主をつとめた。

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