相良藩〈遠江国〉(読み)さがらはん

藩名・旧国名がわかる事典 「相良藩〈遠江国〉」の解説

さがらはん【相良藩〈遠江国〉】

江戸時代遠江(とおとうみ)国榛原(はいばら)郡相良(現、静岡県牧之原(まきのはら)市相良)におかれた譜代(ふだい)藩。当地には徳川家康(とくがわいえやす)の鷹狩(たかがり)のために相良御殿が造営され、のち、そこに藩庁がおかれた。1710年(宝永7)に譜代の本多忠晴(ただはる)が1万石で立藩。本多氏3代のあと、板倉勝清(いたくらかつきよ)、本多忠央(ただなか)と続き、58年(宝暦8)に側衆(そばしゅう)の田沼意次(たぬまおきつぐ)が1万石で入封(にゅうほう)した。意次は側用人(そばようにん)から老中へとのぼりつめ、最盛期の85年(天明(てんめい)5)には5万7000石の大名となり、いわゆる田沼時代を現出した。しかし86年に老中を罷免されると領地はほとんど没収され、87年に相続した孫の意明(おきあき)は、陸奥(むつ)国下村藩に1万石で移封された。相良城は破却され廃藩となったが、11代将軍徳川家斉(いえなり)の助けで1823年(文政6)に意次の4男意正(おきまさ)が当地に戻り、相良藩は再興された。以後明治維新まで田沼氏3代が続いた。1868年(明治1)の駿府(すんぷ)藩静岡藩)再設置により、上総(かずさ)国小久保に移り、小久保藩となったが、71年の廃藩置県で廃藩となった。

出典 講談社藩名・旧国名がわかる事典について 情報

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