真々部氏館跡(読み)ままべしやかたあと

日本歴史地名大系 「真々部氏館跡」の解説

真々部氏館跡
ままべしやかたあと

[現在地名]豊科町大字高家 真々部

町村まちむら上町の東方一町の所にある。当館は一・五町四面の馬踏道によって囲まれており、この馬踏道を南小路・北小路・東小路・西小路といっている。中央が三〇間四方の堀と土塁によって囲まれた堀ノ内である(現金竜寺北隣にあたる)。町村(殿村ともいう)は、中村なかむら北方段丘からやや中へ入った所にあって、永禄年代(一五五八―七〇)武田信玄によってつくられた郷町で、安曇郡南部の軍事拠点としてつくられたものであるが、まもなく武田(仁科)五郎信盛を大町おおまち(現大町市)に配してこの大町を安曇郡一円を支配する拠点とした。

慶安四年(一六五一)検地帳(豊科町役場蔵)に穂高市(屋敷九畝九歩)、高根市(屋敷二畝二一歩)がみられるが、中町付近の四辻で開かれた市であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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