デジタル大辞泉 「真田重蔵」の意味・読み・例文・類語 さなだ‐じゅうぞう〔‐ヂユウザウ〕【真田重蔵】 [1923~1994]プロ野球選手。和歌山の生まれ。昭和18年(1943)朝日に入団。戦後、持ち球のドロップを生かして活躍。年間39勝というセリーグ記録を樹立。ノーヒット・ノーランを二度達成した。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「真田重蔵」の解説 真田 重蔵サナダ ジュウゾウ 昭和期のプロ野球選手 元・明星高校野球部監督。 生年大正12(1923)年 没年平成6(1994)年5月30日 出身地和歌山県和歌山市 学歴〔年〕海草中(現・向陽高)卒 主な受賞名〔年〕沢村賞〔昭和25年〕 経歴昭和14、15年、第24回、25回の全国中学校野球大会で旧制海草中学のエースとして連続優勝。その後プロ野球選手に転じ、18年朝日に入団。松竹、阪神などのエースで活躍した。25年セリーグ記録の39勝を挙げ、沢村賞受賞。実働11年、416試合登板、178勝128敗、防御率2.83。31年引退して、プロ野球解説者から大阪の明星高校監督となる。38年夏第45回の甲子園大会で優勝するが、プロ経験者に対するアマ球界の冷たさに嫌気がさして辞任。プロ球界に復帰後、阪急、近鉄などのコーチを経て、63年まで大阪市内の会社役員を務めた。平成2年野球殿堂入り。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真田重蔵」の解説 真田重蔵 さなだ-じゅうぞう 1923-1994 昭和時代のプロ野球選手。大正12年5月27日生まれ。昭和14年和歌山県の海草中学(現向陽高)の三塁手,15年は投手として夏の甲子園連覇。18年朝日に入団。25年松竹で39勝し最多勝。27年阪神にうつる。実働11年,ノーヒットノーラン2回,通算178勝128敗。のち大阪の明星高監督となり,38年夏の甲子園で優勝。平成2年野球殿堂入り。平成6年5月30日死去。71歳。和歌山県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「真田重蔵」の解説 真田 重蔵 (さなだ じゅうぞう) 生年月日:1923年5月27日昭和時代のプロ野球選手1994年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by