矢上庄(読み)やかみのしよう

日本歴史地名大系 「矢上庄」の解説

矢上庄
やかみのしよう

現藍住町矢上を遺称地とし、その北方同町乙瀬おとぜ、鳴門市大麻町檜おおあさちようひのき一帯に比定される。

建保二年(一二一四)四月日の阿波国司庁宣(大東家文書)に「矢上庄」とみえ、当庄の庄号を停止して国領に戻し、替りに富田とみだ(現徳島市)を奈良春日社領とすることが命じられている。当地はもと別納知行の矢上保で、藤原隆房が阿波国の国務(知行国主)の時(正治元年―承元三年、国守は隆房の子隆宗)、前伊賀守(藤原)季保法師に宛行われた。その後季保は「養君大納言三位」を領家とする条件で奈良春日社に寄進して立庄することを申請、許可されて国司庁宣を与えられ、春日社領矢上庄が成立した(貞応三年五月二一日「官宣旨案」春日大社文書など)。この立券の年は富田庄が立券された建仁四年(一二〇四)頃と考えられている(徳島県史)。ところが、季保は当庄を私領としようとして太政官符を申請。隆房はその不当を理由に処罰しようとしたところ、承元三年(一二〇九)一月隆房の阿波国知行は終了し、阿波国は同年九月に焼失した紀伊熊野社の造営国となって、院宣により当庄の庄号は停止された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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