知久平城跡(読み)ちくだいらじようあと

日本歴史地名大系 「知久平城跡」の解説

知久平城跡
ちくだいらじようあと

[現在地名]飯田市知久平

知久平村の中央部知久平台地に段丘崖を利用して築かれた平山城。鎌倉時代に伴野ともの庄の地頭となった知久氏によって築城され、のち徳川氏の伊那郡代菅沼定利によって拡張改修された。城の南北は知久沢ちくざわ川と塩沢しおざわ川の渓谷によって限られ、西は数十メートルの断崖をもって天竜川が迫り、その西方松尾まつお城・鈴岡すずおか城を望める。

知久平台地の北西端を本郭とし、その南方及び東方に四条の屈曲する空堀によって二の郭・三の郭を分ち、その南に続く惣郭は更に三条の堀によって二つの郭に分けられている。総面積六万平方メートル以上あり、下伊那地方屈指の城跡である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む