日本歴史地名大系 「飯田城下」の解説
飯田城下
いいだじようか
飯田城の西に広がる城下町。
木曾山脈に源を発する
飯田郷は中世は
戦国時代末期には武田氏が伊那谷へ侵入し、伊那の諸氏は武田氏の支配下に置かれ、郡代として武田の家臣秋山信友が飯田城に居住した。天正三年(一五七五)武田氏は織田氏に大敗を喫し坂西氏も一族をわずかに残して滅んだ。同一〇年伊那谷は織田勢の侵攻に遭い、飯田城は落城した。織田信長は毛利秀頼に伊那郡を与えた。毛利氏は飯田城に入ったが、同年の
〔城下の建設〕
毛利氏・京極氏の時代に、武士は全部城下に居住することになり、生活必需品を整える必要もあって、城下町の整備が進められた。まず天正一八年追手門の西に向かって直線的に道を作り、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報