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石上乙麻呂 いそのかみの おとまろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石上乙麻呂 いそのかみの-おとまろ

?-750 奈良時代の公卿(くぎょう)。
石上麻呂の3男。天平(てんぴょう)4年丹波守(たんばのかみ),10年左大弁となるが,翌年久米若売(わかめ)と通じ土佐に流される。18年遣唐大使にえらばれたが,発遣は中止された。20年従三位,のち中納言。詩文にすぐれ「懐風藻」「万葉集」に詩歌をのこす。天平勝宝2年9月1日死去。名は弟麻呂ともかく。
【格言など】大崎の神の小浜は狭(せば)けども百船人(ももふなびと)も過ぐといはなくに(「万葉集」)

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

石上乙麻呂

没年:天平勝宝2.9(750)
生年:生年不詳
8世紀の貴族。詩人,万葉歌人。宅嗣の父。大和朝廷の名族物部氏の本流の出身。天平10(738)年藤原宇合の未亡人,久米若売と恋愛事件を起こし,土佐国(高知県)に流された。『懐風藻』の伝には,その容姿風采の優れていたことがみえ,美男子ぶりがうかがえる。土佐での感懐を詠んだ詩集『銜悲藻』は伝わらない。のち政界に復帰,天平18年には遣唐大使に選ばれた。その学才,容姿がかわれたのであろうが,計画は中止となった。天平勝宝2(750)年,従三位,中納言,中務卿で死去した。<参考文献>東野治之「天平十八年の遣唐使派遣計画」(『正倉院文書と木簡の研究』)

(東野治之)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

いそのかみのおとまろ【石上乙麻呂】

?‐750(天平勝宝2)
奈良時代の貴族。《万葉集》に短歌2首,《懐風藻》に詩4首。石上氏の出身で,左大臣麻呂の三子,文人の首(はじめ)宅嗣(やかつぐ)の父。風姿文才を称せられ治部卿・中務卿などを歴任し従三位中納言に至る。天平年中,藤原宇合(うまかい)未亡人久米若売(わかめ)と密通,土佐に配流,2年有余の間展転閨中(けいちゆう)の情をつづって《銜悲藻(かんぴそう)》2巻を成したという。その事件を歌った《万葉集》巻六の時人の歌は瓦版風にもてはやされた歌として興味深い。

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