井村(読み)いむら

日本歴史地名大系 「井村」の解説

井村
いむら

[現在地名]新見市上市かみいち足立あしだち

坂本さかもと村の西方山地の足立と、南方高梁たかはし川右岸の上市に二分され、足立の北は千屋ちや村、かま(現阿哲郡神郷町)、西は下神代しもこうじろ村枝郷油野ゆの(現同上)、上市の南は西方にしがた村、西は下神代村。足立に芋原いもばら吉川よしかわ・足立・田曾たそ、上市に畑原はたけはら舞尾まいお内草うちのくさ木戸きど谷内たにうち横見よこみ・上市の集落がある。

中世は新見庄に含まれ、文永八年(一二七一)の新見庄領家方里村分正検田取帳案(東寺百合文書)に井村・谷内里・ヨコミ里・宇津草(内草か)・間尾(舞尾か)里、同年の新見庄領家方奥村分正検田取帳案(同文書)に足立・田曾里・吉川里などがみえ、上市は里村に、足立は奥村に属していたことが知られる。なお関連史料から、地頭方市庭(二日市庭)は上市の地頭方政所付近にあり、横見―八谷やたに(矢谷)居敷野いしきの―カタカネ―三坂みさかヨリ―佐津見さつみ奥谷おくだに(三坂以下は釜村)と続く伯耆への道、谷内―宇津草―田曾―足立―吉田よしだ(油野村)亀尾かめのお(高瀬村、現神郷町)と続く出雲への道などがあったことが明らかにされている。


井村
いのむら

[現在地名]臼杵市井村いむら

三重野みよの村・田野口たのくち村の南に位置し、末広すえひろ川と熊崎くまさき川の下流域に挟まれた地域に立地する。南は江無田えむた村。井野村とも記した(正保郷帳)。慶長一〇年(一六〇五)の内検地目録帳(臼杵藩政史料)に井ノ村組と村組名でみえる。同一一年の惣御高頭御帳に村名がみえ高一千二二石余、うち三三九石余は稲葉通孝領であった。また村役人に長右衛門・六郎右衛門・与左衛門をあげる。同帳は当村と北川きたのかわ村・田野口村の三村を井ノ村組とし、惣庄屋として源介・喜介を記す。


井村
たるいむら

[現在地名]泉南市樽井

岡田おかだ村の南西にある。「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年五月八日条にみえる「山城水門亦の名は山井水門」は当地に比定され、樽井の地名は井水が湧出する地との意から名付けられたと伝える。江戸時代を通じて岸和田藩領。慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図に村名がみえ、高九二四石余。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳では一千一九〇石余、一村別旧領主并石高では一千四〇九石余となっている。綿作が盛んで、元禄初期には全作付の六割で(泉州志補遺)、慶応二年(一八六六)には五割五分となっている(「手控」原家文書)


井村
つじいむら

[現在地名]姫路市辻井一―九丁目・東辻井ひがしつじい一―四丁目

飾西しきさい郡に所属。北今宿きたいまじゆく村の北東に位置する。天正七年(一五七九)の播磨国衙巡行考証(智恵袋)に「辻井村の民屋五十許り、古は橋内源太夫友包が構地なり」とあり、辻居つじい構居があった(播磨鑑)。慶長国絵図に村名がみえる。江戸時代を通して姫路藩領。正保郷帳では田方四九一石余・畠方二一八石余。天保郷帳では高九一一石余。天明元年(一七八一)の家数一一一・人数四七七、牛二五。宝暦一三年(一七六三)岡目田おかめだ池の建設を願出ている。天保六年(一八三五)固寧倉の設置が許可された(以上、蒲田組大庄屋文書)


井村
いむら

[現在地名]松阪市井村町

坂内さかない川中流左岸に位置。北は船江ふなえ村と境し、南は大足おわせ村に沿い、東は坂内川を隔てて大黒田おおくろだ村に面し、西は田牧たいら村に接する。「華頂要略」に引く天福二年(一二三四)八月付慈源所領注文に、三昧院領として伊勢国井村庄の名がみえる。この井村庄を飯高いいたか郡の当地に比定する根拠は知られない。「神宮雑例集」には飯高郡の内宮領として井村御園がみえ、「神鳳鈔」にも「内宮井村御厨三石、六九十二月」とみえる。


井村
ならいむら

[現在地名]加茂町楢井

東は中原なかばら村・成安なりやす村、南は行重ゆきしげ村、北は百々どうどう村、西は上横野かみよこの(現津山市)に接する。正保郷帳に高三二二石余、うち田方二六〇石余・畑方六一石余とある。「東作誌」では楢井村と別に青山あおやま村を立て、「往古楢井村と一村、分村の時代不知」と記す。元禄一〇年(一六九七)の美作国郷村帳では楢井村三四一石余・青山村二一六石余。同年の美作国郡村高辻帳では改出高二〇六石余・開高三〇石余。「東作誌」も同高で、戸口は楢井村二二軒・一〇五人、青山村一三軒・八五人。天保九年(一八三八)の津山藩領郡村記録では本村分は家数二七・人数一一四、牛二一、青山分は家数一七・人数六七、牛一〇。


井村
ならいむら

[現在地名]吉野町大字楢井

吉野川右岸の北楢井を中心とし、左岸の南楢井を含む。宮滝みやたき村の下流傾斜地に立地。正平年間(一三四六―七〇)運川うんせん(現川上村大字東川)所蔵大般若経奥書に「吉野郡楢井郷」(三一七巻)、「楢井庄」(三一八巻)、「奈良井庄」(三一九巻)などとみえる。なかノ郷のうち。慶長郷帳では村高二四三・八六六石、幕府領(代官角南主馬)


井村
たるいむら

[現在地名]豊川市樽井町

豊川村の北、西の長草ながくさ村とは佐奈さな川をもって境とする。寛永一二年(一六三五)に吉田藩領となって以後明治に至るまで変わることがなかった。元禄一〇年(一六九七)九月の指出帳(樽井区有)による戸口は一八軒・一一二人、うち男六一・女五一である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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