石上麻呂(読み)イソノカミノマロ

デジタル大辞泉 「石上麻呂」の意味・読み・例文・類語

いそのかみ‐の‐まろ【石上麻呂】

[640~717]古代天武元明天皇ころの廷臣。左大臣石上氏の祖。旧氏姓は物部連もののべのむらじ万葉集に歌1首が残る。

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精選版 日本国語大辞典 「石上麻呂」の意味・読み・例文・類語

いそのかみ‐の‐まろ【石上麻呂】

  1. [ 一 ] 大和時代、奈良時代初期の政治家。石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)祖父。もと物部連、物部朝臣を称した。天武五年(六七六)一〇月に遣新羅大使任命。天武一三年(六八四石上朝臣(いそのかみのあそん)の姓を賜わる。和銅元年(七〇八)に左大臣に。万葉集に歌を残している。舒明一一~霊亀三年(六三九‐七一七)。
  2. [ 二 ]竹取物語」中で、かぐや姫に求婚する貴公子の一人。姫にのぞまれたつばめ子安貝を取ろうとして失敗し、腰を折って死ぬ。中納言いそのかみのまろたり。

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改訂新版 世界大百科事典 「石上麻呂」の意味・わかりやすい解説

石上麻呂 (いそのかみのまろ)
生没年:640-717(舒明12-養老1)

天智朝から奈良初期の貴族。もと物部麻呂といい物部氏の一族でのちに石上氏を名のる。麻呂は物部目の後裔。宇麻呂の子。壬申の乱に際して近江朝廷側にくみしたが,乱後,遣新羅大使に任ぜられ,帰朝して小錦下。686年(朱鳥1)天武天皇の殯(もがり)にあたって法官の事を誄(しのびごと)した。以後,奈良時代まで筑紫惣領,中納言,大納言大宰帥右大臣,左大臣を歴任した。その間,多治比真人,阿倍御主人(みうし)の弔賻使となる。690年(持統4)軍事氏族の伝統をつぎ朝賀に大盾を供献し,また692年持統天皇の伊勢行幸に従っている。歴代天皇から厚い信任を得ていたらしく,その死に際して,廃朝のうえ,従一位を追贈され,太政官以下の誄を述べられ,また百姓も追慕し痛惜したという。奈良時代の文人として,淡海三船(おうみのみふね)と並称された石上宅嗣はその孫。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石上麻呂」の意味・わかりやすい解説

石上麻呂
いそのかみのまろ
(640―717)

飛鳥(あすか)末期・奈良初期の公卿(くぎょう)。宇麻乃(うまの)(宇麻呂(うまろ))の子、乙麻呂(おとまろ)の父。旧氏姓は物部連(もののべのむらじ)。壬申の乱(じんしんのらん)では大友(おおとも)皇子側にあったが、大友の最期に付き添った忠節を賞されてか天武(てんむ)朝でも用いられた。684年(天武天皇13)石上朝臣(あそん)に改氏姓、686年(朱鳥元)には天武天皇の殯宮(もがりのみや)で法官(のりのつかさ)の事を誄(しのびごと)した。690年(持統天皇4)大盾(おおたて)を樹(た)て天皇の即位式に奉仕、696年には直広壱(じきこういち)(正四位下(しょうしいのげ)に相当)となり資人(しじん)50人を与えられた。その後、中納言(ちゅうなごん)、大納言、大宰帥(だざいのそち)を歴任し、704年(慶雲1)右大臣、708年(和銅1)正二位で左大臣となった。人望があつく、717年(養老1)に没すると従一位(じゅいちい)が贈られ、人民も追慕して痛惜しない者はなかったという。

[山本幸男]

『野村忠夫著『奈良朝の政治と藤原氏』(1995・吉川弘文館)』

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朝日日本歴史人物事典 「石上麻呂」の解説

石上麻呂

没年:養老1.3.3(717.4.18)
生年:舒明12(640)
8世紀初めの公卿。衛部大華上宇麻乃の子。乙麻呂の父。もと物部麻呂と称した。壬申の乱(672)では近江方につき,大友皇子が山前に隠れて自殺したときには,付き従っていた。のち天武天皇に仕え天武5(676)年に,遣新羅大使に任命され翌年帰国した。13年に制定された八色の姓で朝臣の姓を与えられ,これ以降氏の名も,物部氏が祭祀に当たっていた石上神宮(天理市)にちなんだ石上と改められたらしく,朱鳥1(686)年天武天皇の崩御に際しては殯宮で石上朝臣と称し法官の代表として哀悼の意を表す誄を行った。持統4(690)年1月1日,即位式に当たり,大盾を立てたが,このような伝統的な行事の場合は「物部麻呂朝臣」と称している(『日本書紀』)。10年10月,直広壱位で資人50人を与えられ,大宝1(701)年3月には中納言直大壱であったが大宝令の施行にともなって正三位に叙せられ,大納言になった。大宝4年右大臣,和銅1(708)年左大臣に昇進し,従一位を追贈された。

(清田善樹)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石上麻呂」の解説

石上麻呂 いそのかみの-まろ

640-717 飛鳥(あすか)-奈良時代の公卿(くぎょう)。
舒明(じょめい)天皇12年生まれ。物部宇麻乃(もののべの-うまの)の子。壬申(じんしん)の乱で大友皇子に味方し,皇子の最期までしたがう。天武天皇5年遣新羅(しらぎ)大使。13年ごろ氏を石上にかえる。持統天皇4年の天皇即位式に大盾(たて)をたてた。大納言,右大臣をへて,和銅元年正二位,左大臣。霊亀(れいき)3年3月3日死去。78歳。従一位を追贈された。
【格言など】吾妹子(わぎもこ)をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも(「万葉集」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石上麻呂」の意味・わかりやすい解説

石上麻呂
いそのかみのまろ

[生]舒明12(640)
[没]養老1(717).3.3. 奈良
古代~奈良時代初期の廷臣。石上氏の祖。大友皇子に仕えたが,壬申の乱後天武天皇に仕え,新羅に使した。のち右大臣,次いで左大臣となる。

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