日本大百科全書(ニッポニカ) 「石上玄一郎」の意味・わかりやすい解説
石上玄一郎(いそのかみげんいちろう)
いそのかみげんいちろう
(1910―2009)
小説家。本名上田重彦。北海道札幌生まれ。社会主義運動に関係して、旧制弘前(ひろさき)高校を放校される。左翼運動から離脱したのち、1940年(昭和15)『絵姿』で作家的地位を築いた。『精神病学教室』(1942)は、科学とヒューマニズムの対立を描いた問題作として注目された。ついで『緑地帯』(1944)を刊行し、敗戦は中国で迎えた。戦後は、『氷河期』(1948)で戦争の傷痕(しょうこん)を描き、『自殺案内者』(1950~51)では、戦場で死に取り憑(つ)かれた男が多くの自殺者を眺めながら、死を克服していく姿を書いた。西欧的実存思想に加えて、仏教にも深く傾倒している石上の作風は観念的、幻想的だが、独自の文学世界をもっている。
[東郷克美]
『『石上玄一郎作品集』全3巻(1970~71・冬樹社)』