石上玄一郎(読み)いそのかみげんいちろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「石上玄一郎」の意味・わかりやすい解説

石上玄一郎(いそのかみげんいちろう)
いそのかみげんいちろう
(1910―2009)

小説家本名上田重彦。北海道札幌生まれ。社会主義運動に関係して、旧制弘前(ひろさき)高校を放校される。左翼運動から離脱したのち、1940年(昭和15)『絵姿』で作家的地位を築いた。『精神病学教室』(1942)は、科学とヒューマニズム対立を描いた問題作として注目された。ついで『緑地帯』(1944)を刊行し、敗戦は中国で迎えた。戦後は、『氷河期』(1948)で戦争傷痕(しょうこん)を描き、『自殺案内者』(1950~51)では、戦場で死に取り憑(つ)かれた男が多くの自殺者を眺めながら、死を克服していく姿を書いた。西欧的実存思想に加えて、仏教にも深く傾倒している石上の作風は観念的、幻想的だが、独自の文学世界をもっている。

[東郷克美]

『『石上玄一郎作品集』全3巻(1970~71・冬樹社)』


石上玄一郎(いしがみげんいちろう)
いしがみげんいちろう

石上玄一郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石上玄一郎」の解説

石上玄一郎 いしがみ-げんいちろう

1910-2009 昭和-平成時代の小説家。
明治43年3月27日生まれ。社会主義運動に参加,旧制弘前高を放校される。昭和15年「絵姿」で注目される。西欧の現象学と仏教思想に傾倒し,観念的,幻想的な作風で知られた。作品に「精神病学教室」「自殺案内者」「彷徨えるユダヤ人」「太宰治と私」など。平成21年10月5日死去。99歳。北海道出身。本名は上田重彦。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石上玄一郎」の意味・わかりやすい解説

石上玄一郎
いしがみげんいちろう

[生]1910.3.27. 札幌
[没]2009.10.5.
小説家。本名,上田重彦。「いそのかみ」とも呼ばれたが,これは誤読。弘前高等学校中退。同学年に太宰治がいた。代表作『精神病学教室』 (1942) ,『黄金分割』 (53) 。

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