石和御厨(読み)いさわのみくりや

日本歴史地名大系 「石和御厨」の解説

石和御厨
いさわのみくりや

甲斐国において存在が確認される唯一の御厨。石禾・伊沢などとも書き、「神鳳鈔」異本には大石和おおいさわ御厨ともみえる。現市部いちべ以南の笛吹川右岸に比定される。伊勢神宮外宮領で、面積は二五〇町(神鳳鈔)。長日御幣紙三六〇帖を負担した(諸国御厨御園帳)。建久三年(一一九二)八月の伊勢神宮領注文(神宮雑書)にはみえないが、当御厨地域を拠点とした在地武士と考えられる井沢宣景(信景)は、平治の乱の際には源義朝方として奮戦し、敗れて井沢に帰国しているから(「平治物語」義朝敗北の事)、成立はそれ以前にまでさかのぼると思われる。現窪中島くぼなかじまの神明神社、現甲府市上阿原かみあはら町の神明神社は御厨内に勧請された伊勢神宮の分祀社と伝える(甲斐国志)

帰国後の宣景の消息は不明だが、彼の跡は甲斐源氏の棟梁武田信義の四子信光が継ぎ、伊沢氏を称した。平家討伐に挙兵した甲斐源氏は、治承四年(一一八〇)九月二四日、巨摩郡逸見へみ山から石和御厨へ進み、源頼朝の使者土屋宗遠を迎えている(吾妻鏡)。一〇月一三日に駿河へ向けて出立した甲斐源氏は、翌日の鉢田の戦では信光らの活躍で駿河目代勢を破り(同書)、一八日富士川で追討使平忠度軍に大勝(「玉葉」同年一一月五日条)東国政権地盤を確保した。平家滅亡後、信光は甲斐源氏の棟梁となって武田を名乗り、市部に館を構え(甲斐国志)、甲斐守護として国内の御家人統制にあたったものと思われる。「参考源平盛衰記」巻二二(土肥焼亡舞同女房消息附大太郎烏帽子事)によると、甲斐国住人の大太郎という烏帽子商人が石橋山の合戦に敗れて逃げる頼朝を助け、のちに恩賞として石和に一〇〇町の地と在家三宇を与えられたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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