石川島播磨重工業[株] (いしかわじまはりまじゅうこうぎょう)
日本の代表的な総合重工業会社。IHIの略称でも知られる。プラント,資源,航空機部門を拡大している。1960年12月1日に石川島重工業(株)が(株)播磨造船所を合併して石川島播磨重工業(株)が設立された。石川島重工業は,1853年(嘉永6)隅田川の河口石川島に幕命を受けて開設された水戸藩の日本初の洋式造船所石川島造船所をその出発点としている。明治維新で官営となり,さらに移転になった同造船所のドック・敷地等を借りて76年に旧幕臣平野富二が石川島平野造船所を個人創業した。89年改組して有限責任石川島造船所を設立,93年(株)東京石川島造船所と改称。その後,重機械部門にも力を注ぎ,大正時代には自動車,航空機の製造も行った。1945年石川島重工業(株)に改称。一方,播磨造船所は,1907年兵庫県に相生村村長により地元有力者・阪神財界有志と共同で設立された播磨船渠(株)を出発点とし,16年に鈴木商店に買収され(株)播磨造船所,21年に神戸製鋼所に合併された後,29年に再び独立して(株)播磨造船所となった。60年両社の合併で誕生した石播重工はその後,名古屋造船,芝浦共同工業,呉造船所などをつぎつぎに合併,急速に事業を拡大した。合理化,低コストを実現するとともに,タンカーの大型化,プラント船など造船業界をつねにリードし,ブラジル,韓国など海外へも積極的に進出している。現在の売上構成は,船舶・海洋部門は13%にすぎず,エネルギープラント(25%),航空宇宙(23%),機械(15%)などの比重が大きい(2005年)。資本金649億円(2005年9月),売上高1兆0890億円(2005年3月期)。
執筆者:徳田 賢二
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「石川島播磨重工業」の意味・わかりやすい解説
石川島播磨重工業[株]【いしかわじまはりまじゅうこうぎょう】
1876年官営石川島造船所の跡に創業した民間最初の造船会社。1960年播磨造船所を合併して石川島播磨重工業となる。1968年には呉造船所を合併するなど,つぎつぎと合併を重ねて,日本有数の総合重工業会社となった。2007年7月社名をIHIに変更。ブラジル,韓国など海外にも進出している。航空エンジン,陸上機械プラント,船舶,原子力機器などを生産。しかし過剰設備などの問題をかかえる造船部門は2000年に川崎重工業,三井造船と業務提携。民間ジェットエンジンで国内首位。本社東京,工場横浜,相生,呉など。2011年資本金957億円,2011年3月期売上高1兆1872億円。売上構成(%)は,資源・エネルギー23,船舶・海洋15,物流・社会基盤17,回転・産業機械15,航空・宇宙23,その他7。海外売上比率43%。
→関連項目真藤恒|土光敏夫
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石川島播磨重工業
いしかわじまはりまじゅうこうぎょう
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石川島播磨重工業
いしかわじまはりまじゅうこうぎょう
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世界大百科事典(旧版)内の石川島播磨重工業の言及
【相生[市]】より
…市街地はもと漁村の相生,湾奥の商港那波,陸(くが)などからなるが,山陽新幹線や山陽自動車道の開通に伴い,市街地は北方に拡大している。相生の発展は1908年播磨船渠会社(現,[石川島播磨重工業]相生工場)の創設に始まる。初期は修理専門の小規模な工場であったが,第1次世界大戦時の造船ブームに乗じて設備を拡充し,造船都市としての地歩を固めた。…
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