石川藤八(読み)イシカワ トウハチ

20世紀日本人名事典 「石川藤八」の解説

石川 藤八(7代目)
イシカワ トウハチ

明治期の実業家



生年
文久4年2月1日(1864年)

没年
大正3(1914)年1月19日

出生地
紀伊国尾鷲(三重県尾鷲市)

本名
松本 市松

経歴
尾張国知多郡乙川村(愛知県半田市)の石川家の養子となり、7代目藤八を襲名。同家は木綿仲買を業とし、明治3年織物製造業に転職して本店の他にも分工場や出機などを経営していた。のちに同家の下宿人であった豊田佐吉が研究した力織機に注目し、29年石川木綿織工場を設立。30年には同工場を豊田との合資会社とし、乙川綿布合資会社に改組して日本で初めて豊田の国産力織機60台を使用した。やがて、ここでの製品が三井物産に評価され、豊田式力織機が世間に知られるようになった。のち豊田は社の運営から離れるが、石川は単独で工場経営を続け、41年には松本市松の名で三ツ星織工所を設立。なお豊田と協力した人物は6代目藤八であるとも言われている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「石川藤八」の解説

石川藤八(7代)

没年:大正3.1.19(1914)
生年:元治1.2.1(1864.3.8)
明治期の織物業者。紀伊国(三重県)尾鷲生まれと伝わる。前名,松本市松。尾張国知多郡乙川村(愛知県半田市)の6代石川藤八の養子となり,藤八を襲名。石川家は,豊田佐吉開発の糸繰返機のユーザーであったことから,佐吉の力織機に注目し,明治30(1897)年,佐吉と合弁で乙川綿布合資会社を設立。わが国最初の国産力織機使用工場となる。のち,佐吉はこの経営から離れるが,藤八は,石川木綿織工場を継続。また,41年には,松本市松名義で,三ツ星織工所を創設する。なお,佐吉と直接協力したのは6代藤八である可能性も強く,今後なお検討の余地のある人物といえる。<参考文献>知多織物工業協同組合『知多織物100年の歩み』

(谷口豊)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川藤八」の解説

石川藤八 いしかわ-とうはち

1843-1914 幕末-大正時代の実業家。
天保(てんぽう)14年生まれ。尾張(おわり)乙川(おつかわ)村(愛知県半田市)で家業の木綿仲買に従事。明治29年石川木綿織工場を創立。30年豊田佐吉とともに乙川綿布合資を設立し,翌年豊田の発明した力織機(りきしょっき)を日本で最初に始動させた。綿布の品質の高さに三井物産が注目し,力織機は急速に普及した。大正3年死去。72歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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