電力により、モーターを回して運転する織物をつくる機械。人力による手織機(手機(てばた))、足踏織機などがあるが、主運動といわれる経(たて)糸の開口、緯(よこ)糸の挿入および緯打ちの機構原理には変わりないが、力織機ではクランク軸の回転により、主運動、副運動などのすべての運動が伝達作動するようになっている。1785年イギリス人カートライトが力織機の原型を発明し、18世紀末の産業革命の誘因となった。日本では明治以降に導入され、綿織物、毛織物、絹織物の生産に非常に活躍した。なお緯糸がなくなったとき、自動的に緯糸が補給できる力織機を「自動織機」といい、1897年(明治30)ごろに豊田(とよだ)佐吉が発明した。現在の力織機では、緯糸の挿入運動は杼(ひ)(シャットル=シャトル)を有し、左右から往復運動によるものが多いが、最近では無杼(むひ)織機といわれるレピア型、ジェット型の生産性の高い革新織機も開発されている。一方、紋織物など、複雑化のほうでは、従来のジャカード機を力織機の上にのせる方法にかわって、コンピュータを使ってデザインを直接読み取り簡単に柄織物をつくる力織機もある。
[並木 覚]
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イギリスのエドマンド・カートライトが1785年に発明した織物用機械。動力によって開口,杼打(ひうち),筬打(おさうち),捲取りの一連の操作を自動的に行う。1887年(明治20)頃から輸入され比較的大規模な織物工場で使用された。各地で進められていた在来的な織機の改良を背景に,1900年頃豊田式(綿)や津田式(絹)など独自の力織機が発明され,日露戦争後から大戦間期にかけて,輸出向生産を皮切りに全国の織物産地に急速に普及した。
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…また77年ころにはジャカードより簡便な紋織機ドビーも輸入された。さらに機織を完全に機械化した力織機も,76年にはドイツから輸入された。以後種々の洋式織機が輸入され,また外人技師の指導や独自の研究によって,日本の織物は進歩,発展をとげたが,機織界の変革を促進させた原動力の一つは,90年竣工した皇居の装飾用織物の製織であった。…
…織機のもつ往復運動をカムやスプリングを用いて動力と連結するもので,85年の特許取得以来何度となく改良をすすめ,87年,92年と特許を取得した。カートライトの力織機power‐loomは動力を利用し,しかも1人の織布工が何台もの織機を同時に運転できることを原理的に可能とした。カートライトは1787年に小工場の経営にのりだし,最初は畜力によって織機を作動させた。…
…しかし綿織物業では,輸入綿糸の使用とバッタン機の導入によって輸入綿布に対抗し,1880年代末までに国内市場を支配し,90年代には紡績会社兼営の機械製綿布と在来綿布とが並んで朝鮮および中国へ輸出される。1900年代には兼営織布の輸出が順調に進むとともに,その後半に泉南,知多など先進綿布産地を中心に国産力織機(りきしよつき)と電動機を用いた力織機工場が成立してくる。先進綿布産地における力織機工場化は1910年前後に急速に進展し,家内賃織が解体して農家婦女子が織布女工へ転化していった。…
…(1)を開口,(2)を緯入れ,(3)を緯打ちといい,この一連の運動を繰り返すことにより,所定の組織をもった織物を作ることができる(図1)。これらの操作を手足で行う織機を手織機(ておりき)または手機(てばた)といい,動力で運転するものを力織機という(図2‐a,図2‐b)。次に力織機を例にとり説明してみよう。…
※「力織機」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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