20世紀日本人名事典 「石橋健蔵」の解説
石橋 健蔵
イシバシ ケンゾウ
明治期の陸軍中将
- 生年
- 安政6年6月(1859年)
- 没年
- 昭和2(1927)年5月12日
- 出生地
- 丹波国多紀郡篠山(兵庫県)
- 学歴〔年〕
- 陸大卒
- 経歴
- 丹波篠山藩家老・石橋義制の長男に生まれる。明治8年もと藩主・青山忠誠に召され上京、島田重礼の塾に学び、10年忠誠に従って陸軍士官学校に入る。16年第1期生として陸軍大学校に入学、ドイツ参謀少佐メッケルと親交し新戦術を研究した。日清戦争には留守第6師団参謀長を務める。33年義和団の乱(北清事変)の際に陸軍第5師団参謀長として北京城攻略に活躍。日露戦争には第2師団参謀長として出征、38年歩兵第3旅団長となり、奉天の会戦などを戦う。42年歩兵第7旅団長、43年歩兵第8旅団長を歴任。45年中将。退役後は帰郷して、もと藩主創設の鳳鳴義塾塾主代理として子弟の育英に尽力した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報