砂川 捨丸
スナガワ ステマル
- 職業
- 漫才師
- 本名
- 池上 捨吉
- 生年月日
- 明治23年 12月27日
- 出生地
- 大阪府 三島郡味生村新在家(摂津市新在家)
- 経歴
- 明治35年兄の砂川千丸の江州音頭一座の芸人となり、38年万歳師として大阪松島の堀内席に出演。大正末から中村春代とコンビを組み、鼓と紋付姿でとぼけた高座を務め、いろもの漫才を確立した。最初のレコード吹き込み、串本節の全国普及に努め、万歳が漫才と改まった後も万歳発生期の芸を伝える古典的存在として人気を保った。平成8年上方演芸に貢献した人を顕彰する“上方演芸の殿堂”に入る。11年故郷・摂津市の大阪モノレール南摂津駅前に胸像が建造される。
- 没年月日
- 昭和46年 10月12日 (1971年)
- 伝記
- ワッハ上方を作った男たちけったいな人びと―ホンマモンの芸と人地球の上に朝がくる 毛馬 一三 著棚橋 昭夫 著池内 紀 著(発行元 西日本出版社図書出版浪速社筑摩書房 ’05’00’92発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
砂川 捨丸
スナガワ ステマル
明治〜昭和期の漫才師
- 生年
- 明治23(1890)年12月27日
- 没年
- 昭和46(1971)年10月12日
- 出生地
- 大阪府三島郡味生村新在家(現・摂津市新在家)
- 本名
- 池上 捨吉
- 経歴
- 明治35年兄の砂川千丸の江州音頭一座の芸人となり、38年万歳師として大阪松島の堀内席に出演。大正末から中村春代とコンビを組み、鼓と紋付姿でとぼけた高座を務め、いろもの漫才を確立した。最初のレコード吹き込み、串本節の全国普及に努め、万歳が漫才と改まった後も万歳発生期の芸を伝える古典的存在として人気を保った。平成8年上方演芸に貢献した人を顕彰する“上方演芸の殿堂”に入る。11年故郷・摂津市の大阪モノレール南摂津駅前に胸像が建造される。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
砂川捨丸
すながわすてまる
(1891―1971)
万(漫)才師。本名池上捨吉。大阪に生まれる。1902年(明治35)、兄砂川千丸の江州(ごうしゅう)音頭の一座に参加して大阪・千日前の井筒席で初舞台。24年(大正13)以降中村春代と組み、万才が漫才と改まったのちも紋付羽織袴(はかま)姿で鼓を持った古典的な万才の型を捨てず、上方(かみがた)漫才界で活躍した。一方『ストトン節(ぶし)』や『串本(くしもと)節』の普及にも努め、万才師として初のレコード吹き込み(1916ころ)もした。
[向井爽也]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
砂川捨丸 すながわ-すてまる
1890-1971 明治-昭和時代の漫才師。
明治23年12月27日生まれ。兄砂川千丸の江州(ごうしゅう)音頭の一座をへて,万歳師となる。のち中村春代とくみ,万歳が漫才となったのちも鼓をもって紋付き袴姿で上方で活躍。大正7年漫才師として初のレコード吹き込みをした。昭和46年10月12日死去。80歳。大阪出身。本名は池上捨吉。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
砂川 捨丸 (すながわ すてまる)
生年月日:1890年12月27日
明治時代-昭和時代の漫才師
1971年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の砂川捨丸の言及
【漫才】より
…江州音頭,河内音頭のいいところをとって彼の話芸は育った。この話芸を継いだ砂川捨丸(1890‐1971)は,話の中に今起こったばかりの時事問題をおり込んで芸域を広げ,寄席にかけた。相方(中村春代)には,これまでの鼓(これは万歳からの受継ぎ)に代えて,三味線を持たせた。…
※「砂川捨丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」