日本歴史地名大系 「砂沢館跡」の解説
砂沢館跡
すなざわたてあと
城主の秋田右近太夫藤原秀盛は「土崎湊落城」の際秋田実季家臣として活躍した五城目内記秀盛と同一人物と考えられる。文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)に「八百五拾六石壱斗九升四合 五十目内記」とあり、知行高は慶長六年(一六〇一)の秋田実季侍分限(秋田家文書)のうち御代官所之帳の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
城主の秋田右近太夫藤原秀盛は「土崎湊落城」の際秋田実季家臣として活躍した五城目内記秀盛と同一人物と考えられる。文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)に「八百五拾六石壱斗九升四合 五十目内記」とあり、知行高は慶長六年(一六〇一)の秋田実季侍分限(秋田家文書)のうち御代官所之帳の
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