神崎遺跡(読み)かんざきいせき

国指定史跡ガイド 「神崎遺跡」の解説

かんざきいせき【神崎遺跡】


神奈川県綾瀬市吉岡にある弥生時代後期の集落跡。県中央部付近を流れる相模(さがみ)川の支流、目久尻(めくじり)川に面した標高24m、沖積地との比高差約11mの南北に長い台地の先端部に立地する。1989年(平成1)からの発掘調査によって、南北103m、東西65mの楕円形をした弥生時代後期の環濠集落と判明した。周囲をめぐる環濠は幅・深さともに1.8m前後で断面V字形をしており、環濠内の北側に平面が楕円形や方形竪穴(たてあな)建物6棟があった。竪穴建物の炉は建物の短軸上に設けられているが、これは東海地方以西に認められる特徴である。出土遺物は、壺・甕(かめ)・高坏(たかつき)などの土器、球形土製品、鉄鎌・銅鏃(どうぞく)などで、土器は弥生時代後期前半の特徴をもち、その95%以上が愛知県東部から静岡県西部にかけての東海西部系の形態であった点が、この遺跡特色である。2009年(平成21)の発掘調査では、環濠内の南側でも竪穴建物3棟と柱穴を確認、建物は環濠内の全域におよんでいたことがわかった。出土した土器もすべて東海西部系の特徴をもつことから、集落全体で東海西部系の土器が使用されていたと考えられるようになった。弥生時代後期の南関東は東海地域と密接な関係があったようで、相模川流域の遺跡では東海西部の影響を受けた土器が数多く出土するが、東海西部系が95%以上を占める遺跡はここだけである。しかも、土器の土の分析から遺跡周辺の粘土が使われていたことがわかり、この地での製作を示すことから、東海西部から人々の移住があったと考えられる。竪穴建物の炉の位置が東海地方の特徴を示すことも、このことを裏付けている。神崎遺跡は弥生時代後期前半という短期間に営まれ、東海西部からの移住を明らかにしたことは、この時期の東海から南関東の社会のあり方を知るうえで重要であり、こうした集落が完全な形で残っている希有な例として、2011年(平成23)に国の史跡に指定された。JR相模線社家駅から車で約17分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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