神戸宿(読み)かんべしゆく

日本歴史地名大系 「神戸宿」の解説

神戸宿
かんべしゆく

[現在地名]鈴鹿市神戸二―四丁目・同八丁目

神戸城下は、伊勢参宮街道宿場でもあった。伊勢参宮街道四日市宿日永ひなが(現四日市市)で、東海道と分れて南のほうへ内部うつべ川・鈴鹿川を渡って、神戸城下に入る。北の四日市宿から二里三五町、南の白子しろこ宿まで一里半とされている。中世末までの街道は現在よりも東方の水田中を通っていたが、神戸氏がさわ城より神戸城に移るとともに道を西へ曲げて城下を通るようにしたと伝えられる。その時期は明確でないが、弘治三年(一五五七)三月一六日山科言継が遠江からの帰途長太なごの浜(現長太栄町・長太旭町)に上陸し、伊勢参宮のため神戸へ使を出して、伝馬を依頼した。「言継卿記」に「十八日壬申天晴 自神戸送両人、伝馬人足等出之、朝食以後発足」とある。言継はこの馬を上野うえの(現安芸郡河芸町)から帰している。このことから神戸への移転が弘治三年以前であることと、神戸にはある程度伝馬の制があったことがわかる。

織田信長三男で神戸家を継いだ信孝は天正三年(一五七五)五月四日、「十日市申様事」として、楽市を定めるとともに伝馬の制も整えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む