日本歴史地名大系 「伊勢参宮街道」の解説
伊勢参宮街道
いせさんぐうかいどう
- 三重県:総論
- 伊勢参宮街道
伊勢神宮へ参拝する人々の通る道はいろいろあるが、江戸時代以降は
〔古代〕
皇居が大和の南部にある間は現
伊勢斎王の場合は道中に頓宮(仮宮殿)を設営し、数百人の従者をひきつれて群行することになっているが、頓宮の設営場所は「延喜式」によって伊勢国内では鈴鹿・壱志と定められている。公卿勅使も壱志を利用することが多く、寛弘二年(一〇〇五)公卿勅使参宮の一員であった藤原行成は「権記」一二月一三日条に「辰剋、自関戸出、於鈴鹿河祓、経奄芸安濃郡、申剋着壱志郡駅家」と記している。その位置は現在の一志郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報