日本歴史地名大系 「神田佐久間町四丁目元地」の解説 神田佐久間町四丁目元地かんださくまちようよんちようめもとち 東京都:千代田区旧神田区地区神田佐久間町四丁目元地[現在地名]千代田区神田佐久間町四丁目神田川に架かる新(あたら)シ橋の北側に位置する片側町。西は神田佐久間町四丁目残地、東は同久右衛門(きゆうえもん)町一丁目蔵地、南は往還を隔てて神田川、北は同佐久間町四丁目裏町。文政町方書上によると、もとは神田佐久間町三丁目地続きで東西表京間六〇間、往還を隔てて西方一三間・東方四七間、裏行同二〇間であった。享保三年(一七一八)四月の火災で東方四七間は類焼し火除地として収公された。同年七月内神田の元誓願寺前(もとせいがんじまえ)の武家地跡に代地を与えられたが、河岸で仕事をしていた商人たちが難儀をしたため奉行所に願出て、火除地となった元地のうち表田舎間長さ町並・裏行同八間を、地面境九尺ずつ空けて家作し、焚火は禁止するという条件で拝借蔵地とされた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by