神田佐久間町四丁目残地(読み)かんださくまちようよんちようめざんち

日本歴史地名大系 「神田佐久間町四丁目残地」の解説

神田佐久間町四丁目残地
かんださくまちようよんちようめざんち

[現在地名]千代田区神田佐久間町三丁目

神田川に架かる新(あたら)シ橋の北側に位置する片側町。町の起立以来たびたびの火災により町は南北に分断された。河岸通りの町屋は西が医師千賀道隆邸、東は神田佐久間町四丁目元地、南は往還を挟んで神田川、北は同久永(きゆうえい)屋敷。北方の町屋(私称代地)は西が神田佐久間町三丁目、東が武家地、南は上野安中藩板倉家中屋敷、北は武家地。

文政町方書上によると同三丁目地続きで東西表間口京間一三間、往還を隔て同四七間、裏行同二〇間であった。享保三年(一七一八)四月小伝馬(こでんま)町(現中央区)より出火して往還東方の四七間が類焼し、焼跡は火除地として召上げられた。往還西方の一三間は焼残り神田佐久間町四丁目残地と称した。同五年三月中(なか)橋辺りからの出火で再度類焼したため、同町三丁目同様河岸通りの表間口長さ町並・裏行田舎間八間通りを残し、地面境を九尺ずつ空けて家を建てるよう町奉行所より命じられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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