神野川村(読み)こうのがわむら

日本歴史地名大系 「神野川村」の解説

神野川村
こうのがわむら

[現在地名]南部川東神野川ひがしこうのがわ

南部川の支流神野川流域にある山間の村。西と南はしま村、北は三里さんりが峰を挟んで川又かわまた(現印南町)。「続風土記」は「南部川谷の北の方枝谷の中に村居す、村中に天宝明神鎮り座せるを以て神の名あり」と記す。慶長検地高目録には記載がなく、当時は南部川村の一部であった。宝暦一〇年(一七六〇)の南部組大指出帳(「日高近世史料」所収)に「神之川村」とあり、村高一六一石余で、このうちには茶一〇一斤余分の高六石九升九合、紙木一五六束半分の高三石一斗三升、桑三一束余分の高三斗一升八合が含まれる。


神野川村
このがわむら

[現在地名]古座町神野川

重畳かさね山の南東にあり、東と南を西向にしむかい浦が取囲む。元禄年間(一六八八―一七〇四)の「熊野独参記」には、古座浦の「札ノ辻より神野川浦へ船渡し有り」とあり、寛政年間(一七八九―一八〇一)の「熊野巡覧記」にも「古座浦より神の川へ十一町」と、古座浦の次を神野川村と記す。「続風土記」は「加宇乃迦波」と訓じ、村はもと古座川西岸に面していたが、のち河口が西向浦の東に移って現在のようになったと記す。また「谷川の名を村名とするなり、神の名は古田村重山に滝姫の神在すより出たり」という。


神野川村
こうのがわむら

[現在地名]印南町西神にしこうがわ

真妻まづま山の東南麓、切目きりめ川支流の小さい谷川沿いにある山村。南は小原こばら村。近世初頭は松原まつばら村に含まれており、慶安(一六四八―五二)頃分村したという(続風土記)。延宝六年(一六七八)の「日高鑑」によれば田畑三町二反余で高三六石余、家数一八で内訳庄屋一・本役四・半役三・無役一〇、人数六一、牛三、馬五、鉄砲一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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