神之川村(読み)かみのかわむら

日本歴史地名大系 「神之川村」の解説

神之川村
かみのかわむら

[現在地名]大根占町神川かみかわ

城元しろもと村の北に位置し、西は海に面する。神ノ川下流の沿海部と北東部の台地からなる。近世には神ノ川の河口湊が根占湊(現根占町)などとともに繁栄したと伝える。中世には神河かみのかわ村などとみえ、禰寝ねじめ北俣きたまたのうちにあった。文永四年(一二六七)三月五日の沙弥道意置文案(志々目文書)に、禰寝院(禰寝院北俣)公事支配村々の田数として郡本こおりもと村八町五反のうちに「鳥浜三反・神河五反」とある。徳治三年(一三〇八)三月一〇日の島津庄留守沙弥某下文(同文書)によれば、鳥浜とりはま・神河弁済使職と郡本内の平田ひらたは富山氏一族の蓮仏(義峯)から子息義秀に譲られ、義秀が嘉元四年(一三〇六)に死去したのでその跡は闕所として晴義に宛行われたが、義秀の舎兄義隆が地頭の関係者としてこれを押領している。


神之川村
かみのかわむら

[現在地名]東市来町南神之川みなみかみのかわ日吉ひよし町神之川

伊集院いじゆういん郷の村で、市来郷神之川村の南、蛇行しながら西流して海に注ぐ神之川の南岸に位置する。流域平野水田が開ける。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳に村名がみえ、高一七九石余。


神之川村
かみのかわむら

[現在地名]東市来町神之川

伊作田いざくだ村の南、蛇行しながら西流して海に注ぐ神之川の北岸に位置し、同川流域に水田が開けている。「かんのかわ」ともいう。市来郷に属し、同川を挟んで伊集院郷神之川村がある。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳に村名がみえ、高九七石余。「三州御治世要覧」によると延享(一七四四―四八)頃の高一九四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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