神門神社(読み)みかどじんじや

日本歴史地名大系 「神門神社」の解説

神門神社
みかどじんじや

[現在地名]南郷村神門

小路(こうじ)に鎮座する。祭神は伊弉冊命・事解男命・速玉男命・倉稲魂命・品陀和気命・大山祇命・菅原道真・百済国禎嘉王。旧郷社。社伝によれば養老二年(七一八)の創建という。旧称は神門大明神。明治四年(一八七一)落原(おちばる)の地主社、田爪(たづめ)の若宮八幡社、仮屋(かりや)の愛宕神社、黒岩(くろいわ)の天満宮の四座を合祀し現社名に改めた。例祭日は一〇月一七日。江戸時代延岡藩は高七斗余の除地を認めている(「寺社領境内除地覚」牧野家文書)。

当社は百済から亡命してきた禎嘉王を合祀する神社として知られる。伝えによれば、西暦六六〇年に滅亡した朝鮮半島の百済の王族らが日本に亡命し、安芸国厳島(いつくしま)(現広島県宮島町)に上陸した。しかし新羅からの襲来を恐れ、王族らは再び船で筑紫国に向かうが途中時化に遭い、日向国金(かね)ヶ浜(はま)(現日向市)と蚊口(かぐち)浦(現高鍋町)に漂着した。金ヶ浜に漂着した禎嘉王は神門に居を構え、蚊口浦に漂着した子息福智王は比木(ひき)(現木城町)に移り住み、没後にそれぞれ神門神社と比木神社に合祀されたという。また妃は大年(おおとし)神社(現高鍋町)、子息華智王は伊佐賀(いさか)神社(現東郷町)に合祀されている。なお南郷村古墳の一基は禎嘉王の墓と伝えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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