福井町
ふくいちよう
[現在地名]中区丸の内二―三丁目
本町筋にあり、北は本町、南は富田町に連なる。杉の町筋より桜の町までの一丁をいう。慶長一六年(一六一一)清須の本町を移し、上本町ととなえた。万治元年(一六五八)本町三丁目と改称。貞享三年(一六八六)一〇月「町内之寿を取申」、福井町と名付けたという(尾張城南陌名由緒)。
福井町
ふくいちよう
[現在地名]西区京町堀一丁目
玉沢町の南にあり、東は西横堀川。明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図には「北三郎右衛門町」とあり、元禄年間(一六八八―一七〇四)の大坂三郷町絵図では福井町になっている。また寛文年間(一六六一―七三)以前の絵図では西横堀川に道修町橋が架かる。
福井町
ふくいちよう
[現在地名]奈良市高畑町
高畠町の南に所在。「奈良曝」にはみえないが、「奈良坊目拙解」によれば東福井・西福井町とに分れ、俗に福井ノ辻ともいう。興福寺領で、元禄一一年(一六九八)の家数二〇、うち春日社禰宜二軒は無税、竈数三九のうち禰宜一七。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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