日本歴史地名大系 「輪田庄」の解説
輪田庄
わだのしよう
古代に
応保二年(一一六二)以前より当庄は隣接する庄園から押領を受け、同年平清盛が家使藤原能盛に八部一郡を検注させた後にも押領は続いたが、平氏が不法にも一郡を押領したため沙汰止みとなっていた。平氏滅亡後、郡内七ヵ庄は源頼朝により各本所に返付され、各庄は毎年検注を行ったため、再び隣接諸庄に入交じる当庄の散在田が押領された(建仁二年二月一四日輪田庄庄官源能信等申状)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報