20世紀日本人名事典 「福原謙七」の解説 福原 謙七フクハラ ケンシチ 明治・大正期の教育家 生年天保12年8月2日(1841年) 没年大正13(1924)年2月6日 出生地播磨国宍粟郡山崎町(兵庫県) 経歴大阪で松本巌・後藤松陰の塾に学び、更に丹波篠山(兵庫県)の渡辺弗措に従い、ついで氷上郡(兵庫県)の小島省斎に学び、また備前の阪谷朗廬の興譲館に入った。この間、前後10余年。帰郷して播磨(兵庫県)山崎藩に藩儒として仕える。明治維新後は印南郡長などを務め、明治17年郷里で私塾・靖献学舎を起こして子弟に教え、著述に努めた。のち品川子爵の知遇を得て、殖産興業の必要を感じ、特に造林事業の実行に当たった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「福原謙七」の解説 福原謙七 ふくはら-けんしち 1841-1924 明治-大正時代の教育者。天保(てんぽう)12年8月2日生まれ。丹波氷上郡(兵庫県)の小島省斎らにまなび,帰郷して播磨(はりま)(兵庫県)山崎藩につかえる。維新後は印南(いんなみ)郡長などをつとめ,明治17年郷里で私塾靖献学舎をおこして子弟におしえ,著述につとめた。大正13年2月6日死去。84歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by