コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

山崎藩 やまざきはん

3件 の用語解説(山崎藩の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山崎藩
やまざきはん

宍粟 (しそう) 藩ともいう。江戸時代播磨国 (兵庫県) 宍粟地方を領有した藩。元和1 (1615) 年姫路藩主池田輝政の子輝澄が支藩3万 8000石で立藩 (のち6万 8000石) 。池田氏が除封され,因幡 (鳥取県) 鹿野に再封後,松平 (松井) 氏6万石,池田氏3万石を経て,延宝7 (79) 年に本多氏が1万石で入封し,山崎藩と改称,以後廃藩置県にいたった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

藩名・旧国名がわかる事典の解説

やまさきはん【山崎藩】

江戸時代播磨(はりま)国宍粟(しそう)郡山崎(現、兵庫県宍粟市山崎町)に藩庁をおいた、初め外様(とざま)藩、のち譜代(ふだい)藩。藩校は思斉館(しせいかん)。1615年(元和(げんな)1)、姫路藩池田輝政(てるまさ)の4男輝澄(てるずみ)が3万8000石を分与され、山崎に陣屋を設けて立藩。31年(寛永(かんえい)8)に3万石加増されるが、40年に御家騒動により、因幡(いなば)国鹿野(しかの)1万石に減転封(げんてんぽう)された。その後は譜代の松平(松井)氏、池田氏を経て、79年(延宝(えんぽう)7)に大和(やまと)国郡山(こおりやま)藩から本多忠英(ほんだただひで)が1万石で入封、以後明治維新まで本多氏が9代続いた。1871年(明治4)の廃藩置県で山崎県となり、その後、姫路県、飾磨(しかま)県を経て、76年兵庫県に編入された。◇宍粟藩ともいう。

出典|講談社
(C)Kodansha 2011.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山崎藩
やまざきはん

播磨(はりま)国(兵庫県)宍粟(しそう)郡を領有した藩。宍粟藩ともいう。1615年(元和1)姫路藩主池田輝政(てるまさ)の四男輝澄(てるずみ)が大坂の陣の直後、宍粟郡に3万8000石を受け、領内の山崎に陣屋を設けた。1631年(寛永8)、弟の赤穂(あこう)藩主政綱(まさつな)が没し、さらにその弟佐用(さよ)藩主輝興(てるおき)が赤穂に転ずるや、その旧領のうち佐用郡3万石を加えたが、40年御家騒動により因幡(いなば)国(鳥取県)鹿野(しかの)1万石に減封された。かわって松平(松井)氏、池田氏と移り、1679年(延宝7)大和郡山(やまとこおりやま)から本多忠英(ほんだただひで)が入部、1万石を領して明治に至る。1871年(明治4)廃藩、山崎県、姫路県、飾磨(しかま)県を経て76年兵庫県に編入された。[小林 茂]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

山崎藩の関連キーワード宍粟藩播磨節宍粟市宍粟播磨播磨潟播磨風土記播磨いちのみや明石宗伯竹本播磨少掾(2代)

今日のキーワード

日本政策投資銀行

1999年に日本開発銀行と北海道東北開発公庫を統合し、発足した政府系総合政策金融機関。一般の金融機関が行なう金融などを補完・奨励し、長期資金の供給などを行ない、日本の経済社会政策に金融上で寄与していく...

続きを読む

コトバンク for iPhone