菊竹六鼓(読み)きくたけろっこ

改訂新版 世界大百科事典 「菊竹六鼓」の意味・わかりやすい解説

菊竹六鼓 (きくたけろっこ)
生没年:1880-1937(明治13-昭和12)

ジャーナリスト本名淳(すなお)。福岡県生れ。幼時に左脚が不自由となったが,屈せずに言論界を志し,1903年東京専門学校(早稲田大学の前身)卒業,《福岡日日新聞》に入社以後,編集長,主幹,編集局長を歴任,35年には副社長に就任するなど,終生同紙を舞台に言論活動に従事した。同紙は一般には政友会系紙とみられており,彼自身も政友会寄りの立場から政党政治擁護論陣を展開,このほか地域暴力追放や廃娼運動など社会的正義の実現や満蒙権益の擁護にも深い関心を寄せた。1932年の五・一五事件の際には〈首相兇手に斃る〉〈敢て国民の覚悟を促す〉の社説をかかげ果敢な軍部批判を展開,久留米第12師団の脅迫に類した抗議活動にあったが,これを退けた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菊竹六鼓」の意味・わかりやすい解説

菊竹六鼓
きくたけろっこ

[生]1880.1.25. 福岡
[没]1937.7.21.
反軍の姿勢を貫いた硬骨のジャーナリスト。本名は淳 (すなお) 。東京専門学校 (早稲田大学の前身) を卒業して,1903年,政友会系の有力地方新聞であった『福岡日日新聞』に入社。自由主義者であった主筆の猪俣為治らの薫陶を受け,やがてみずから主筆となった。六鼓の名を特に高からしめたのは,五・一五事件の際にかかげた「首相兇手に斃る」「敢て国民の覚悟を促す」という社説で,その激しい軍部ファシズム批判のため,久留米師団をはじめとする軍部や右翼からの脅迫,不買運動などを招いたが,頑として屈しなかった。

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世界大百科事典(旧版)内の菊竹六鼓の言及

【福岡日日新聞】より

…不偏不党主義に対し征矢野は〈偏理偏党〉を唱え,政治的には政友会系だったが,政党の代弁はしないと強調した。32年に起こった五・一五事件に際して,菊竹六鼓(ろつこ)主筆が社説で敢然と軍部を批判したことは有名である。戦時統合により対抗紙《九州日報》と合同し,42年8月10日《西日本新聞》となった。…

※「菊竹六鼓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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