福聚院(読み)ふくじゆいん

日本歴史地名大系 「福聚院」の解説

福聚院
ふくじゆいん

[現在地名]五戸町 観音堂

上大かみおお町の南西に位置する。西沢山と号し、黄檗宗本尊観音菩薩。藩政期末の南部領寺社鑑写(岩手県盛岡市中央公民館蔵)に「一無禄 五戸西沢村(ママ) 円通山福寿院」とある。宝暦(一七五一―六四)の頃の御領分社堂には福寿院持の社堂として正観世音がみえ、「古来より西沢観音林福寿院申堂有之、数年及零落、別当申も無之候処、元禄二年出生ハ美濃国ニ黄檗宗南宗申僧有之、五戸御町人加賀屋治兵衛申者堂再建仕候」とある。

福聚院
ふくじゆいん

[現在地名]三島市北田町

江戸時代の町にある寺。臨済宗建長寺派、仙台山と号し、本尊は聖観音。正長元年(一四二八)京都南禅寺に住していた明堂の開山という。当時の山号は楊原山であったが、天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の相模小田原攻めの際伊達政宗が当寺を陣営としたことにより、仙台山と改号したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報