私市藩(読み)きさいはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「私市藩」の意味・わかりやすい解説

私市藩
きさいはん

武蔵(むさし)国騎西(きさい)(埼玉県加須(かぞ)市)に置かれた譜代(ふだい)大名騎西藩とも書く。1590年(天正18)徳川家康の関東入国により、三河(みかわ)の譜代家臣であった松井松平康重(やすしげ)が騎西領2万石を領知して成立。関ヶ原の戦いに功あり加増1万石、1601年(慶長6)常陸(ひたち)国(茨城県)笠間(かさま)に転封。かわって大久保忠隣(ただちか)の嫡子(ちゃくし)忠常が入り2万石を領知したが、1611年(慶長16)病没し、嫡子忠職(ただもと)が8歳で継いだ。1614年祖父忠隣が罪を被ったため、忠職も私市城に蟄居(ちっきょ)を命ぜられた。1625年(寛永2)赦免され、32年3万石の加増を受けて美濃(みの)国(岐阜県加納(かのう)城5万石に転封となり、私市城は廃城となったが、所領は川越藩が代々領知するところとなった。

[大舘右喜]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「私市藩」の意味・わかりやすい解説

私市藩
きさいはん

騎西藩とも書く。江戸時代初期,武蔵国埼玉郡騎西地方 (埼玉県北東部) を領有した譜代小藩。天正 18 (1590) 年,徳川家康の関東入部に際して松平康重が2万石で入封。慶長6 (1601) 年,康重が常陸 (茨城県) 笠間に転封後大久保忠常が入封2万石を領したが,寛永9 (32) 年美濃 (岐阜県) 加納に転封して,廃藩

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