日本歴史地名大系 「秋吉村」の解説
秋吉村
あきよしむら
[現在地名]秋芳町大字秋吉
北は秋吉台上で
村名の由来を「注進案」は「俗説に往古不闢原台の沖往来の左右は広き沼にて眼のあたり蘆葭生茂りたるを象りて蘆葭村と言ふ、康永年中田畠を開き農人日を追ふて繁茂し、田作豊饒によそへて蘆葭を秋吉と唱へかへしよし申伝ふ」と記す。秋吉は「正慶乱離志」の正慶二年(一三三三)四月六日条に「如風聞者、長門国厚東・秋吉・岩永・由利・伊佐・ア□・マツヤ・河越・アサ、皆参先帝御方云々」とみえ、中世秋吉の在名をもつ者がいたことが知られる。
秋吉村
あきよしむら
秋吉村
あきよしむら
秋吉村
あきよしむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報