秋月城跡(読み)あきづきじようあと

日本歴史地名大系 「秋月城跡」の解説

秋月城跡
あきづきじようあと

[現在地名]土成町秋月 乾

吉野川北岸、標高約五〇メートルに築かれた平城跡。西側をさし谷が流れ、東側にも同川の旧河道がある。この旧河道は当城のすぐ上流で分岐し、下方でまた合流しているので、当城は両川に囲まれた形となっていた。当城はこの自然地形を利用し、若干の土木工事を施したものとみられるが、築城にあたり流路を付替えたとも考えられる。築城時期など詳細は不明であるが、建武三年(一三三六)に阿波国に入った細川和氏と弟の頼春が秋月庄に城を築き、拠点としたのに始まると伝える。細川氏が阿波国の守護となってからは、勝瑞しようずい(現藍住町)に移るまで守護所とされた。戦国期には秋月氏が居城したという。

建武三年二月、足利尊氏は九州に敗走する際、細川一族に四国経略を命じ(梅松論)、和氏と弟の頼春・師氏および従兄弟の顕氏らはただちにその平定に乗出した(同年二月一五日「細川和氏・同顕氏連署奉書」染谷文書など)。和氏らは秋月庄に入部したといわれるが、その背景には鎌倉時代後期に秋月庄地頭職を足利氏が領有していたことがあると考えられる(年未詳「足利氏所領奉行注文」倉持文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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