日本歴史地名大系 「秋月城跡」の解説
秋月城跡
あきづきじようあと
吉野川北岸、標高約五〇メートルに築かれた平城跡。西側を
建武三年二月、足利尊氏は九州に敗走する際、細川一族に四国経略を命じ(梅松論)、和氏と弟の頼春・師氏および従兄弟の顕氏らはただちにその平定に乗出した(同年二月一五日「細川和氏・同顕氏連署奉書」染谷文書など)。和氏らは秋月庄に入部したといわれるが、その背景には鎌倉時代後期に秋月庄地頭職を足利氏が領有していたことがあると考えられる(年未詳「足利氏所領奉行注文」倉持文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報