日本歴史地名大系 「秋田砂丘」の解説 秋田砂丘あきたさきゆう 秋田県:秋田市秋田砂丘秋田平野の西部を画して、南は秋田市の新屋(あらや)地区の大森(おおもり)山(一二三メートル)から北北西方向に約一〇キロ、幅二―三キロにわたり、北部は天王(てんのう)砂丘と交わる。旧雄物川により標高四九メートルの勝平(かつひら)山を含む新屋・向浜(むかいはま)地区、三〇―四〇メートルの高清水(たかしみず)・寺内(てらうち)台地、その延長上にある一〇メートル内外の微高地将軍野(しようぐんの)・飯島(いいじま)地区、旧雄物川河口と新城(しんじよう)川河口に至る北部低地帯および新城川以北の二〇―四〇メートルの砂丘地帯に分れる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「秋田砂丘」の意味・わかりやすい解説 秋田砂丘あきたさきゅう 秋田県中部,日本海岸にある砂丘。秋田市下浜から飯島,追分,出戸,二田,天王 (潟上市) ,船越を経て脇本 (男鹿市) にいたる砂丘帯で,長さ約 40km。最大幅 5km。砂丘は8条からなるが,古い海成堆積層からなる台地の上に,砂が堆積されたものである。 1938年開削された雄物川放水路はこれを横断している。砂丘の一部は開田されているが,果樹園と畑が多い。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by