秦豊吉(読み)ハタ トヨキチ

20世紀日本人名事典 「秦豊吉」の解説

秦 豊吉
ハタ トヨキチ

昭和期の随筆家,翻訳家,小説家,演劇プロデューサー 帝国劇場社長。



生年
明治25(1892)年1月14日

没年
昭和31(1956)年7月5日

出生地
東京市日本橋区(現・東京都中央区)

別名
筆名=丸木 砂土(マルキ サド)

学歴〔年〕
東京帝大法科大学独法科〔大正6年〕卒

経歴
三菱商事勤務の傍らゲーテファウスト」や、レマルク「西部戦線異状なし」などの翻訳を行う。小林一三知遇を得、昭和8年東京宝塚劇場に転じ、ショーや東宝国民劇の制作を担当、15年社長に就任。戦後帝都座で初のストリップ額縁ショー」をプロデュース、評判となる。23年公職追放となるが25年復帰、帝国劇場社長となり、帝劇ミュージカルなどで腕をふるい、日劇ダンシングチームを育てた。また、丸木砂土の筆名で随筆、小説、読物などを多く発表した。小説の代表作には「半処女」「新妻早慶戦」など。著書に「独逸文芸生活」「伯林・東京」「劇場二十年」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秦豊吉」の解説

秦豊吉 はた-とよきち

1892-1956 昭和時代の興行主,随筆家。
明治25年1月14日生まれ。7代松本幸四郎の甥(おい)。昭和8年東京宝塚劇場にはいり,15年社長。戦後,新宿帝都座で日本初のストリップショー「額縁ショー」を上演。25年帝国劇場社長となり,ミュージカル「モルガンお雪」などを制作した。著作に「劇場二十年」など。丸木砂土の筆名で風流随筆もある。昭和31年7月5日死去。64歳。東京出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「秦豊吉」の解説

秦 豊吉 (はた とよきち)

生年月日:1892年1月14日
昭和時代の演劇プロデューサー;随筆家
1956年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の秦豊吉の言及

【軽演劇】より

…朝日放送)は,公開録画による藤田まこと,白木みのるの凸凹コンビの〈道中記〉で,その時どきの人気タレントやコメディアン,売れっ子の歌手をゲスト出演させるというフォーマットは,ブラウン管時代の軽演劇の好例といっていい。一方,劇場では55年に入って,ドイツ文学者でまたコント作家でもあった秦豊吉(1892‐1956)が実現した〈帝劇ミュージカルス〉によって,戦前の〈東宝劇団〉〈ロッパ一座〉,戦後の〈ムーラン・ルージュ〉などの長い下積みを経た森繁久弥が脚光を浴びた。56年にはさらに東京宝塚(東宝)劇場が,占領軍の接収解除によって活動を再開,東宝重役となった菊田一夫によって大劇場形式のミュージカルが提唱され,エノケン,ロッパ,トニー谷(1917‐87),三木のり平(1923‐ ),有島一郎,越路吹雪(1924‐80),宮城まり子(1929‐ )ら,戦前派・戦後派のタレントが活躍の場を得た。…

【ドイツ文学】より

…自由民権思想との関連でレッシングの劇作品や宗教論なども早くから翻訳紹介され,ドイツ文学の啓蒙主義的系譜もかなり日本に導入されていたが,国家主義的イデオロギーが強まるにつれて,それらは圧殺されていった。なお,1920年代には秦豊吉らによって表現主義の戯曲が数多く翻訳紹介され,新劇運動を刺激したことも忘れられてはならない。 日本におけるドイツ文学研究は,19世紀末以降のドイツの学界の動向を反映し,ゲーテを中心とする国民文学成立の時期に重点を置くことによって,規範の大枠が設定されてきた。…

【ミュージカル】より

…ただし,戦後の宝塚歌劇は,女性のみの出演によるという制約はあるものの,ブロードウェー・ミュージカルを数多く紹介している。戦後の創作ミュージカルでは,帝劇で秦豊吉(はたとよきち)(1892‐1956)の企画によって上演された《モルガンお雪》(1951)が最初である。その後多くの作品が発表されているが,まだ水準は低い。…

※「秦豊吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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