稲代村
いなしろむら
[現在地名]弥栄村稲代
長安本郷の西に位置。郷帳類では長安村に含まれた。中世は永安別符のうち。嘉暦元年(一三二六)一二月一〇日の石見永安別符以下地頭職分文(吉川家文書)に「稲代分三丁八反半一方一丁九反九十歩」とみえ、永安別符ほかの領有をめぐる永安兼員と姉の尼良海の争論の結果、下地中分が行われた。
稲代村
いなしろむら
[現在地名]大沢野町稲代
大沢野中位段丘の中央西側に位置し、北は加納村、南は春日村、東は高内村。地名の由来は稲垣某が稲代と名付けたという(大沢野耕地整理事業誌)。富山藩領。慶応三年(一八六七)から大沢野用水の開削事業が開始され、明治元年(一八六八)に完通。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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