立野牧(読み)たてののまき

日本歴史地名大系 「立野牧」の解説

立野牧
たてののまき

平安時代の官牧(勅旨牧)。現大牧おおまき辺りに比定する説があるが(埼玉県史)、ほかに「和名抄」所載の郷名に都筑つづき立野たちの郷があるので、現神奈川県横浜市港北こうほく区辺りに比定する説(大日本地名辞書)、東京都町田市から八王子市辺りに比定する説(日本地理志料)、東京都府中市から立川市辺りの丘陵地に比定する説(立川市史)などがある。「埼玉県史」では大牧辺りに比定する理由として、大牧や立野(現川口市西立野)という地名があること、隣接する中尾なかおには駒形こまがた神社という小祠があり、神体として白駒を安置していること、宮本の氷川女体みやもとのひかわによたい神社には「天暦古牧」と書いた木札が伝存していること、自然条件も平坦地で水草に富むことなどをあげている。

立野牧
たつののまき

武蔵国御牧(勅旨牧)の一。現府中市から立川市に至る丘陵上に比定する説がある。もっとも「大日本地名辞書」では都筑つづき郡立野郷(現神奈川県横浜市緑区)に比定している。延喜九年(九〇九)一〇月一日の太政官符(政事要略)で「応立野牧為勅旨并以八月廿五日定入京期事」により御牧とされ、蔭孫藤原道行が別当にあてられ、毎年一五疋の御馬を貢進することとされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報