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地方財政 ちほうざいせいlocal finance

6件 の用語解説(地方財政の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

地方財政
ちほうざいせい
local finance

地方公共団体の財政であるが,中央財政 (国家財政) のように単一団体の財政ではなく,多種多様地方公共団体の財政を総称したもの。各国の地方財政それぞれ地方制度が異なるため国により大きな差がある。一般に地方自治制により中央財政から一応独立して運営されており,各地域住民の福祉に直接関係する経費項目が多いが,各地域住民の福祉と国民全体の福祉との関係が次第に深くなると同時に地方公共団体間の財政力の格差が拡大し,そのため各国とも中央財政が地方財政に関与する度合いが大きくなっている。現在の日本の地方財政は,1948年の地方財政法の制定により形態的に整備された。道府県民税,事業税,市町村民税,固定資産税などの地方税,地方交付税国庫支出金,地方債をおもな財源とし,各地方公共団体固有の行政および国から委任された行政の経費に支出している。歳入のうち独立財源である地方税が 30%に満たない地方公共団体が多く,交付税や国庫支出金など国からの財源が 50%を超えるなど,国家財政への依存度が高いのが特徴である。

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デジタル大辞泉の解説

ちほう‐ざいせい〔チハウ‐〕【地方財政】

都道府県・市町村・特別区など地方公共団体の財政の総称。

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百科事典マイペディアの解説

地方財政【ちほうざいせい】

地方公共団体の財政であり,その行政を行うための経済的基礎である。一般に普通会計一般会計)と事業会計(地方公営企業等)に分けられる。普通会計は地方公共団体の固有の自治行政および国家からの委任行政に必要な経費を歳出とし,教育,土木,産業,社会保障費が主要なものである。
→関連項目財政予算

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世界大百科事典 第2版の解説

ちほうざいせい【地方財政】

地方公共団体の財政のこと。消費者ひとりひとりに個別的な利益を与える財貨やサービス,すなわち,私的財と呼ばれるものは,市場に参加する供給者と需要者との間の売買を通じて提供される。これに対し,消費者一般に差別なく利益を与える財貨やサービス,いわゆる公共財は,市場を通じて提供することが不可能ないしは非常に困難であるため,国と地方公共団体,すなわち国民経済公共部門組織によって提供される。そのなかで全国的便益性をもつ公共財の提供は国によって行われ,地方的便益性の公共財の提供に対しては地方公共団体が責任を負う。

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大辞林 第三版の解説

ちほうざいせい【地方財政】

地方公共団体の財政活動。 → 国家財政

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

地方財政
ちほうざいせい

地方公共団体の財政のこと。2002年(平成14)5月31日現在、普通地方公共団体の数は、都道府県が47、市町村が3218の計3265である。市町村の内訳は、大都市が12、中核市が25、その他の都市が638、町村が2543である。また特別地方公共団体には23の特別区、2221の一部事務組合(2000年、普通会計)などが含まれる。これらの団体の財政の実態はきわめて多様である。地方財政とは、この多様な個別財政の総称であり、合計である。この点で、地方財政は国家という単一の主体の財政である国家財政または中央財政とは性格が異なる。地方公共団体の個別財政を一括する必要から、実際の会計区分とは別に、普通会計と地方公営事業会計公営企業会計と一部の事業会計の総称)という区分が用いられている。ここでは普通会計を中心に説明する。
 わが国の地方財政の規模は大きい。地方公共団体の普通会計の歳出総額は国の歳出総額をやや上回っている。国の歳出総額にはかなりの額の「国から地方に対する支出」(地方交付税、地方譲与税、国庫支出金など)が含まれており、逆に地方公共団体の歳出総額には若干の「地方から国に対する支出」(地方公共団体の負担金)が含まれているので、これらの支出をそれぞれの歳出総額から控除して両者を比較すると、地方財政の規模は国の財政の1.5倍以上にもなる。
 国と地方の歳出を行政目的別に比較すると、国の占める比率が高いのは、その性質上100%国の支出である地方財政費、防衛費、外交費のほか、恩給費、公債費などであるが、これらが経費の国・地方を通じる歳出純計額に占める比重は、公債費を除いてはそれほど大きくない。これに対して、その比重の大きい社会保障関係費、国土保全および開発費、教育費、機関費、産業経済費では、国との関係で地方の占める比率が相対的に高く、住民生活や産業経済に密着した行政分野において、地方財政がいかに大きな役割を担っているかがわかる。[大川 武]

地方財政の変遷

中央集権的な政治体制の確立、急速な資本主義の発展、強力な軍事国家の形成が明治政府の課題であった。地方制度の整備もこの意図のもとに進められた。
 1871年(明治4)の廃藩置県後、新たに設置された府県には官選の知事などを配置し、その末端組織として、郡区町村にかえて大区・小区を設け、官選の区長・戸長を置いた。しかし、現実との矛盾、政情不安の高まりのなかで、政府は1878年に三新法を制定して、郡区町村を復活し、地方に限定された自治を認めざるをえなくなった。
 1888年に市制町村制、90年には府県制が公布された。地方に対する監督を強化し、国政の一部を地方に担わせることなどがそのねらいであった。市制町村制では、市町村に法人格を認め、条例制定権を与えたが、市長選任には天皇の裁可、町村長選任には知事の認可を必要とし、市町村会議員の選挙には公民だけが参加しうるとした。主要な財源は国や府県に取り上げられて、一定の制限内での付加税の賦課が中心であった。また、地方税の賦課、起債などにあたっては、内務・大蔵両大臣の許可が必要とされた。さらに、委任事務費の負担を義務づけ、市町村が法令または知事・郡長の命令に基づく経費を予算にのせず、または支出しないときは、知事・郡長は強制的にこれを予算に加え、または支出させることができる制度を設けた。市町村は制限された財源のなかで委任事務の実施を義務づけられ、自主的な事務を行う余裕をほとんどもたなかった。
 府県制は府県の法人格には触れず、条例制定権も認めなかった。また、府県税の超過課税や起債については、内務・大蔵両大臣の許可が必要であった。従来どおり官吏である知事が強大な権限をもち、府県は実質上は国の出先機関に近い存在であった。府県会との関係では、知事は、府県会が法令に基づく経費を否決したとき、内務大臣の指揮を受けて原案を執行することができ、内務大臣は原案の金額の範囲内で予算を修正することができた。内務大臣の監督権と知事の執行権のもとで、府県会はまったく形だけのものであった。なお、府県制と同時に郡制も公布された。郡は内務大臣・知事の監督を受け、府県の下部機関といってよかった。
 日清(にっしん)・日露戦争を経て資本主義が確立し発展するにつれて、行政需要も増大し、産業、土木、衛生、教育に関する特別法令が次々に制定された。それに伴い国から地方への委任事務が急増した。地方制度の手直しも行われ、1899年の府県制、郡制の全面改正で、府県の法人格が認められ、府県会議員の選挙が直接選挙制となった。1911年(明治44)には改正市制、町村制が公布され、市の執行機関が参事会から市長の独任制に改められるなどした。しかし、これらの改正の重点は、地方の委任事務の激増に対応するために、府県知事・市町村長の議会に対する権限を拡大し、監督官庁の地方に対する統制を強化することにあった。
 第一次世界大戦後、都市化の進展に伴って地方への委任事務がさらに増大し、地方財政の規模は急激に膨張した。また、このなかで都市と農村の経済力、したがって財政力の格差が拡大し、農村財政の窮迫はとくに著しかった。このため、1918年(大正7)には、市町村の委任事務費として大きな比重を占める小学校費に対する国の経費分担を定めた市町村義務教育費国庫負担法が成立した。これはわが国の国庫補助制度の発展に一時期を画するものであった。
 第一次世界大戦前後から始まった大正デモクラシーの運動は地方制度のうえにも影響を及ぼした。1923年には郡制廃止、26年には地方議会選挙における普通選挙の実施、市町村長選挙における天皇の裁可や知事の認可の全廃、29年(昭和4)には府県に対する条例制定権の付与、内務大臣の予算削減権の廃止などが実現された。しかし、制約された財源と委任事務の増大のもとで、地方財政の窮迫は続いた。大衆課税的な独立税の増徴がなされ、地方債が累増して財政運営の硬直化が進んだ。大正デモクラシーの運動を背景に、国税の地租と営業税の地方への移譲も論議された。しかし、1926年の税制整理では、こうした抜本的な改革は見送られ、地方税の拡充強化は果たされなかった。国の財政の逼迫(ひっぱく)と軍備拡張、産業救済のための財源確保の必要が先行したためである。
 1929年の恐慌はとくに農村に強い打撃を与え、農村財政の窮乏はその極に達した。これに対して、政府は各種の立法措置を講ずるとともに、32年から34年にかけて、失業者救済と農村振興を図るため時局匡救(きょうきゅう)事業を実施した。これによって地方の農業土木事業費は急増した。恐慌に伴うこれらの法令の公布や事業の実施は、国政委任事務費の割合をいっそう高める結果となった。満州事変後、景気回復とともに経済発展の地域的不均衡は一段と激化し、地方公共団体間の財政力格差が甚だしくなった。そこで、36年に、窮迫した町村における住民の過重な税負担を軽減する目的で、臨時町村財政補給金制度が発足した。わが国における地方財政調整制度の萌芽(ほうが)で、翌年には臨時地方財政補給金と改められ、道府県と市をもその対象に含めた。
 1937年に日中戦争が始まると、重要物資の増産、軍事援護、防空などが地方の仕事に加わり、民生関係の行政を圧迫した。40年には、戦争遂行のための国税収入の増大と地方財源の保障を目的として、国税・地方税を通ずる大規模な税制改正が実施され、徹底した中央集権的な地方税財政制度が成立した。地方税は付加税中心となり、新たに還付税と配付税からなる地方分与税が設けられた。このうち配付税は、特定の国税の一定割合を地方公共団体の課税力と財政需要を基準として配分するもので、これによって本格的な地方財政調整制度が確立された。太平洋戦争突入後の43年の府県制および市制、町村制の改正によって、地方公共団体は形式上の自治をさえ大幅に奪われ、まったく国の下部機関と化した。[大川 武]

第二次世界大戦後の変遷

第二次世界大戦後、占領軍の主導のもとに地方制度の民主化も進められた。新憲法は地方自治の章を設けてこれを保障し、1947年(昭和22)5月に憲法と同時に施行された地方自治法は、地方自治を基礎とした地方行政の基本的な仕組みを規定した。また、地方公共団体の仕事は、戦災復興、食糧増産、失業対策などに加えて、六三制義務教育の実施や自治体警察の発足などによって著しく拡大した。しかし、これらの施策を裏づける財源は、46年から48年にかけて一連の地方税制の改正が行われたものの十分ではなく、インフレの高進もあって、地方財政は極度の困窮に陥った。
 1949年に、シャウプ税制使節団の日本税制報告書が提出された。これは、インフレを抑え資本蓄積を促進しようとするドッジ・ラインを税制面から支えることを目的としたものであったが、地方財政に関しては、地方自治強化の立場から、地方税源の拡充、付加税制度の廃止、平衡交付金制度の創設、国庫補助金の大幅な整理、起債制限の緩和など重要な提案を含むものであった。このシャウプ勧告に基づいて、50年に地方税財政制度の抜本的な改正が実施された。地方税体系は、道府県税は付加価値税(実施は延期され、結局1954年に廃止)を、市町村税は住民税と固定資産税を柱に再編成され、地方公共団体に一定水準の行政の実施を保障する地方財政平衡交付金制度が創設された。しかし、国庫補助金の整理は各省庁の抵抗にあってきわめて不徹底なものに終わった。
 朝鮮戦争(1950~53年)を境にして、一連の民主化政策の手直しが始まり、地方に対する統制も強められるようになった。1951年には、政令諮問委員会が行政機構の簡素化と行政事務の大幅な整理を提案し、地方行政簡素化本部が設置された。52年には、地方財政委員会の廃止や地方行政機構の簡素化、特別区長公選制の廃止などを含む地方自治法の改正があった。53年には町村合併促進法が公布され、54年には義務教育職員の政治活動を制限する教育二法の制定、自治体警察を都道府県警察に一元化する警察法の改正が行われた。また、この年には、地方財政平衡交付金制度の地方交付税制度への改組、道府県民税の創設などによる道府県税の強化、地方譲与税制度の新設など、いわゆるシャウプ税制の大幅な手直しがあった。
 この時期の地方財政は、朝鮮戦争後の不況、事務事業の増加と不十分な財源措置などが原因で苦況に立たされ、赤字団体が増加し、54年度末には全地方公共団体の38.5%にあたる2281団体が赤字団体に転落した。政府は、55年に地方財政再建促進特別措置法を制定し、その指導のもとに徹底した合理化による財政再建を図ったが、おりから始まった高度経済成長の影響もあって、赤字団体数と赤字額はその後急速に減少した。
 1960年代にわが国の経済は目覚ましい成長を遂げた。これに対応して、政府は、経済発展の隘路(あいろ)となっていた産業基盤の整備と地域開発に力を注いだ。62年には全国総合開発計画が策定され、拠点開発の旗印のもとに新産業都市や工業整備特別地域の指定が行われた。地方公共団体はこれらの政策の実質的な担い手となり、高度成長を支えた。しかし、その反面で、生活基盤の整備が遅れただけでなく、過密・過疎、公害、環境破壊などの問題も深刻化した。
 1973年秋の第一次オイル・ショック以後、わが国の経済は低成長時代に移り、国・地方とも恒常的な財源不足に直面することになった。75年度以降の地方の財源不足に対して政府が講じた措置は、主として交付税特別会計の借入れと地方債の増発という借金政策であった。また、76年に「増税なき財政再建」を看板に発足した第二次臨時行政調査会は五次にわたる答申を提出し、合理化と経費節減、受益者と地方の負担増などを強調した。政府は、85年1月には地方公共団体に対して、簡素にして効率的な行政を実現するための「行政改革大綱」をまとめるように指示し、また85、86年度には国庫負担の軽減を図るために、いわゆる高率補助金の補助率の一律削減を行うなど、この答申に沿った政策を推進した。
 1980年代後半以降、景気が上昇し、いわゆるバブル景気に入るとともに、国、地方の財政状態も徐々に好転し、国では90年度(平成2)に赤字国債依存から脱却し、地方でも交付税特別会計の借入れ(86年度まで)や財源対策債の発行(87年度まで)に頼らなくてもすむようになった。また87年度以降は、国税の自然増収による地方交付税の増加分を財源に交付税特別会計の借入金の返済を始め、91年度末までに借入金残高をほとんど解消することができた。しかし、91年以降のバブル崩壊により平成不況に陥ると、税収の伸び悩み、景気対策のための事業費の増大等から、国も地方もふたたび巨額の財源不足に陥って、地方財政は交付税特別会計の借入金や地方債の増発という借金に頼らざるをえなくなる。
 1990年代はまた、地方分権論議が活発化し、その第一歩が踏み出された時期でもある。95年に地方分権推進法が成立し、地方分権推進委員会が発足した。委員会は「分権型社会の創造」を目ざして数次にわたる勧告を提出し、そのなかで機関委任事務の廃止と自治事務および法定受託事務への振り分け、国から地方への事務権限の移譲、国の地方に対する関与の縮小・廃止などを提案した。これらの提案に基づいて、98年に地方分権推進計画が策定され、実施のための関連法の改正作業が進められて、2000年4月に地方分権一括法が施行された。これは地方分権にとって画期的な改革といえるが、地方分権を実効あるものとする地方財政制度の見直しについては、今後の課題として残されたものが多い。これについて地方分権推進委員会の第二次勧告は、(1)国と地方の経費負担のあり方、(2)国庫補助負担金の整理合理化、(3)存続する国庫補助負担金にかかわる運用・関与の改革、(4)地方税財源の充実確保などを提案していた。法定外普通税の許可制から事前協議制への変更、法定外目的税の創設(事前協議制)、地方債許可制度の事前協議制への変更など法改正で取り上げられたものもあるが、国庫補助負担金の整理合理化や地方税財源の充実確保などの基本的な提案については、まだほとんど手がつけられていない。[大川 武]

最近の動向と課題

地方財政の規模(都道府県・市町村の純計歳出決算額)の推移を1985年度を100とした指数でみると、90年度139、92年度159とかなりの増大を示したが、それ以降は伸びが大幅に低下し、93、94年度は160台、95~98年度は170台、99年度は181と停滞している。バブル景気とその崩壊を如実に反映している。
 このような状況のなかで、歳出の内容には次のような変化がみられた。まず、主要な経費について目的別歳出構成比の推移をみると、1985年度には、教育費23.6%、土木費20.5%、民生費11.1%であったのが、90年度には教育費21.2%、土木費22.3%、民生費10.8%、95年度には教育費18.9%、土木費23.3%、民生費12.1%、99年度には教育費17.9%、土木費20.6%、民生費14.8%となっている。教育費の比重は低下し、民生費の比重が上昇している。これに対して、土木費の比重は87~91年度は22%台へ、92~95年度は23~24%台へ上昇し、以後は若干低下している。92年度以降の上昇は景気対策としての建設事業費の増大に対応するものである。民生費の構成比の増大は、新旧ゴールドプラン(89年策定、94年見直し)の実施等により社会福祉費(身体障害者・知的障害者等の援護経費)および老人福祉費が高い伸びを示したことによる。民生費に占めるこの二つの経費の比重は、89年度49.7%、95年度55.1%、99年度60.3%と急激に上昇している。
 次に、性質別に主要経費の構成比の推移をみると(人件費、普通建設事業費、公債費の順)、85年度にそれぞれ32.0%、26.8%、10.2%であったのが、90年度には28.4%、28.8%、8.3%、95年度には26.1%、31.4%、8.7%、99年度には26.6%、25.7%、11.6%となっている。人件費の比重は30%台から低下を続け、92年度以降はほぼ26~27%を維持している。行政改革のもとで事務事業の見直し、定員管理の適正化等が進められた結果である。これとは逆に、普通建設事業費の比重は上昇を続け、92~96年度には30%台を占め、その後低下した。前記の目的別歳出構成比における土木費の比重の推移と見合っている。この間、地域振興政策、内需拡大のための公共投資基本計画、バブル崩壊後の経済対策などの実施が地方公共団体に求められ、地方公共団体はこれらの事業の多くを単独事業を積み増す形で引き受けた。普通建設事業費における補助事業費と単独事業費の比率は、85年度に53対42(ほかに国直轄事業負担金)であったのが、90年度には逆転して38対58となり、95年度は40対55、99年度は45対49となっている。国の財源難を地方の単独事業で補おうとするもので、単独事業費に対しては国の特別の財源措置がとられた。最後に、公債費(地方債元利償還金と一時借入金利子)の比重は、85年度の10.2%から若干低下し89~95年度は8%台で推移したが、97年度以降はふたたび10%を超えている。99年度における地方債元金償還金の内訳では、一般単独事業債にかかわるものが40%台ともっとも大きな割合を占めており、ここには単独事業費に対する財源措置の結果が表れている。
 以上のような歳出内容をまかなうための財源は、どのような状態であったか。まず、同じ時期について、主要な財源の構成比の変化を見てみよう(地方税、地方交付税、国庫支出金、地方債の順)。それぞれの比率は、1985年度は40.6%、16.4%、18.3%、7.8%、90年度は41.6%、17.8%、13.3%、7.8%で、とくに国庫支出金の比重の低下が目だっている。ついで95年度にはそれぞれ33.2%、15.9%、14.9%、16.8%となり、地方税の比重の低下と地方債の比重の増加が著しい。さらに99年度は33.7%、20.1%、16.0%、12.6%で、地方債の比重は若干低下し、地方交付税の比重が大幅に上昇した。このような財源構成比の変化は、地方税と国庫支出金の変化を中心にして動いている。
 地方税の構成比は、1985年~91年度は40%台を占めていたが、92年度以降は40%を割り、94、95年度には33%台にまで落ちている。その後多少上昇したが、99年度にはふたたび33%台に落ちた。また、60年代、70年代には20%台を占めていた国庫支出金の構成比は、80年代に入ると急速に低下し始め、88年度以降は13、14%台で推移している。これは、国の歳出抑制策の下で国庫支出金の削減が図られたことによるものである。つまり、80年代には国庫支出金の比重の減少が、また90年代には不況による地方税の比重の減少が財政圧迫の大きな要因となってくる。これを補填(ほてん)する役割を果たしたのは、主として地方交付税と地方債であった。地方交付税はこの期間ほぼ16~17%を維持しており、地方債は91年度までは7~8%、92年度以降は急増して、93~98年度は14~16%にまで達している。
 1985年から始まった国庫補助負担率の引下げに伴う地方の財源不足に対しては、地方交付税の増額(交付税特別会計の借入れ等)や建設地方債の増発等による対応がなされ、最終的には地方交付税の対象税目の見直しが行われた。80年代後半のバブル景気によって、地方財政は自然増収を借金の返済にあてる余裕が生じたが、バブルの崩壊によって地方税収は低迷し、地方財政はふたたび巨額の財源不足を生じるに至った。地方の財源不足額は、91年度に6300億円であったのが、92年度には2兆2900億円、93年度には3兆4300億円、94年度には7兆4400億円と増大し、2001年度は14兆300億円と見込まれている。これに対する対応としては、70年代後半から80年代前半にかけてとられたのと同じ、財源対策債の増発と地方交付税の増額という手法がふたたびとられている。前述した地方交付税の比重の維持と地方債の比重の急増は、これらの対策の結果にほかならない。しかし、負担を将来に転嫁するこうした手法にも限界がある。
 地方財政に対しては、その健全化とともに、地方分権の進展のための基盤としてその充実強化が課題となっている。そのためには、国庫支出金を真に必要なものに限定するという観点に立って積極的に整理合理化を進めたうえで、地方の歳出と税収との乖離(かいり)(たとえば、1999年度において、一般財源に占める地方税の割合は61%にすぎない)をできるだけ縮小するように地方税を拡充する必要がある。その際、地方には、税源の偏在性が少なく、税収の安定性を備えた地方税を配分し、地方公共団体間の税収の格差をできるだけ少なくするように努めなければならない。それでもなお残る税収の格差を調整するために、地方交付税の役割は必要であろう。しかし、その役割が最小限度で済むように、地方税の配分が適切に行われることがなによりも重要である。[大川 武]
『総務省編『地方財政白書』各年版(財務省印刷局) ▽佐藤進・林健久編『地方財政読本(第4版)』(1994・東洋経済新報社) ▽自治省財政局編『地方財政のしくみとその運営の実態』(1996・地方財務協会) ▽石原信雄・二橋正弘著『新版 地方財政法逐条解説』(2000・ぎょうせい)』

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世界大百科事典内の地方財政の言及

【財政】より

…政府の年々の資金収支計画をいう。国家のそれに関していうことが多い(国家財政)が,地方公共団体に関してもいう(地方財政)。財政は政府の諸政策目標を達成するための経済政策である。…

※「地方財政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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